~カネミ油症被害者何人?~
1945年8月6日、広島に原爆が投下され、町は焼け野原と化し、
ほぼ半分の方々が即死、数か月以内で亡くなったという。
翌8月7日昼頃、己斐駅から避難列車が西に向かっている。
被爆した広島駅は列車が通過できず、西へ2駅の己斐駅から
生き残った国鉄職員の力で動かすことができた。今も当時の
詳しい運転記録は残っていない。そこは列車の乗客の記憶に
頼るしかない。
山口彊さん(当時29歳)は、己斐駅に向かう路面電車の鉄橋を、
腹ばいになって渡り、ようやく列車の窓側の席に座ることが
できた。窓越しのホームにある水道の蛇口が被爆で壊れていて、
水が迸っているのが見え、のどが渇いて飲みたかったが、席を
離れる気力も体力もなく、ただ眺めていたと思いだして
いました。
己斐駅は今の西広島駅で、駅前には路面電車の己斐駅が今も
残っており、駅前の一角には“碑”が立っている。
福井絹代さん(当時14歳)は、爆心から1.7㌔で被爆後、”比治山”
”広島大学の敷地で野宿””似島の防空壕”から、8月8日広島駅から
避難列車に乗ったと話します。2歳年下の国義さんと、故郷長崎
に戻ることにしたのです。2日間何も口にしていなかった2人は、
列車で知り合った母子(下関で下車)から、
「二人で食べて」と水蜜桃を2個いただき、
「あの水蜜桃はおいしくて、いま思い出しても涙が出ます」と。
広島と長崎の平和祈念館に数年間通い、被爆体験記や各地の
被爆団体発行の手記を書き写すことで、
映画「ヒロシマ ナガサキ 最後の二重被爆者」(2019)では、
135名のお名前と肩書(一部不明)を知ることができました。
その後、その数は150名を越えることができました。
福井絹代さんと一昨日お話をしました。8月14日に96歳の誕生日
を迎えますので、15日に福井さんが住む青森市を訪ねることに
しています。楽しみです。
「カネミ油症の被害者」特に、国に被害者として認められていない
方々は、数十万人に及ぶと考えられています。
すでに亡くなってしまった方、「カネミライスオイル」を食べた方の
お子さん、お孫さん、さらにひ孫さんに至るまで、気の遠くなるような
”不条理な事実”は58年の歴史に埋もれていると思います。
まず、一歩ずつでしょうか。
これからも皆さんにお伝えして行きながら、進めて行きたいと思います。
カネミ油症被害者救済プロジェクト 稲塚秀孝