~”大切な人”との半世紀~
人生で出会う人って、どのくらい、いるのでしょうか?
後期高齢者(とっても好きになれない言葉ですが)となると、
つい自分の人生を振り返ることが、日常のすき間で起こります。
今日は仲代達矢さんが亡くなって、一年となる日です。
訃報が伝えられたのは、2日後だったでしょうか。
「幻のかくめい」の取材で、田中直樹さんの撮影開始直前に
無名塾の方のからの。携帯電話でした。
「仲代が亡くなりました。今日中に公表しますので、その前に
稲塚さんにお伝えしたいと思いました」と。
翌月、12月13日は仲代さんが93歳の誕生日なので、
お会いできると思っていました。
仲代さんと出会ったのは、仲代さんが44歳、私は26歳でドラマ
「海は甦える」の助監督の時、1977年春から夏にかけて、
およそ3か月間の撮影期間がありました。
プロデューサーの萩元晴彦さん(テレビ製作の師匠)と仲代さんは
永年友人であり、テレビ界初の長時間(3時間)ドラマの主役、
山本権兵衛(江藤淳原作)を演じたのです。
衣装合わせまでに、時代背景や権兵衛の人となりなどを調べ、
仲代さんから、どんな質問があっても答えられるように備えました。
そのドラマ製作からお付き合いが始まりました。
今日は夕刻から「仲代達矢”役者”を生きる」(2015)上映会を、
東京・文京区民センターで行います。
2012年から3年間に渡って、「授業」「ロミオとジュリエット」
公演、塾生試験、塾生指導などを取材して、
「なんでも撮ってくれてかまわないよ」の言葉に甘えさせて
いただきました。
当たり前ですが、出会った時から18歳の年の差は変わることは
ありません。ですからいつも、最初衣装合わせでお会いした時の
”緊張感”を持ち続けたままでした。
さて今は、厚生労働省食品監視課に来週送る「要請書」(第11回目)
の準備中です。この”やり取り”は、2024年12月から始め、2年に
なります。
”のらりくらり”と意味不明の官僚用語の読み解きに悪戦苦闘して
いますが、継続したいと思います。
カネミ油症被害者救済プロジェクト 稲塚秀孝



