すべてのカネミ油症被害者救済へ(203)8月21日

 ~組織と行動原理について考える~

人生の中で直面することは数限りないが、私が着目してきた
のは、”個と組織”についてであったように思います。
基本的に”フリーランス”(自分の意志を貫きたい)として生きたい、
と考えてきましたが、学生時代の”クラブ活動(党派)”、社会に出て
からは”企業=会社”と、組織への従属と協調と共生のはざまで営み
をしてきた半世紀だったと認識しています。

影響を受けたのは、大きく2つありました。
①大正行動隊テーゼ
これは学生時代(1970年頃)に知った、筑豊・大正鉱業闘争で
「大正行動隊」(炭坑夫の方々)が掲げたテーゼ(掟)です。
◆やりたいやつがやるがいい、やりたくないやつはやらんでいい
という基本理念の下で、
☆自分がやりたくないという理由で、やる者をじゃましない
☆やらない理由ははっきりさせる
☆その理由への批判は自由
☆意見がちがって、やらないからといって、そのことだけで
 村八分にしない
☆意見が合ったとき、行動すれば隊員と認める

考えようでは”自由すぎる”ため、そんなことじゃ”組織活動は”成り
立たない”という猛反発を受けることもあったが、言わば
”来るものは拒まず、去る者は追わず”そして”全方位外交”を旨として
きた私の”判断基準”はこのテーゼに裏打ちされていると思います。

次は、映像製作会社の創立メンバーが掲げた「自立と自律」という
理念で、当時放送局の下請けという業界の仕組みの中で、いかにして
映像の企画、製作で”自立と自律”を成し遂げられるかの”試行錯誤”
だったように思う。”自分たちの放送局を作ろう”と檄をとばした先輩が
逝って、20年が経ちました。
実現はしていませnが、”製作者の矜持”だと思っているところです。

現場は確実に動いていて、2日前に「ゴリラ」(護憲リベラル共生)と
不思議な名前のグループが現れました。当プロジェクトが信頼している
国会議員も、20名のメンバーの中に加入しているらしい。
私はまもなく、「カネミ油症 五島国際フォーラム2026」準備のため、
北海道から長崎県五島に向かうため、9月に入ったら、「ゴリラ」に
コンタクトしてみたい。昨年1月の参議院議員会館で行った「母と子の
絆~カネミ油症の真実」上映と集会に参加してくれた数名の議員の名前
も聞こえてきています。

新たに物事を立ち上げる”決意と熱量”には、すべからくリスペクトしか
ありません。

カネミ油症被害者救済プロジェクト  稲塚秀孝

すべてのカネミ油症被害者救済プロジェクト(202)8月20日

 ~9月後半国会開催を想定~

今北海道苫小牧市で、次回作「幻のかくめい」の編集中で、今日は
1分36秒の予告編が完成。本編と共に9月初旬のMA(音声・音響)に
備えます。
1960年前後の三井三池争議、日米安保改定阻止闘争の時代、日本が
石炭から石油へと、エネルギーの”ギア”チェンジした頃、筑豊中間市
の文化→炭坑争議の闘いの”意味”を問うテーマを描きます。

今週末には長崎県五島に向かい、HPに掲載中の「カネミ油症
五島国際フォーラム2026」の準備と打合せに向かいます。
2024年公開「母と子の絆~カネミ油症の真実」から2年。
カネミ油症被害者と関係者を訪ね歩きます。
そして、カネミ油症被害者救済の主な舞台を国会に展開できないか、
と9月後半招集が予想される「臨時国会」に向けた、さまざまなプラン
を立てて行こうと思います。

さて、厚生労働省健康・生活局の担当者に送った「要請書」(10回目)
の回答が一向に届きません。担当者がメディア記者10名の目前で、
私に”約束した”連絡(6月20日「三者協議」)は、2か月経った今日まで
ありません。さすがに”しびれ”が切れてきました。
来週には新たな質問・提案を含めて、11回目の「要請書」を送ろう
と思います。
”現場”は日々、確実に動いていることを知ってもらう必要があると
考えています。

カネミ油症被害者救済プロジェクト  稲塚秀孝

すべてのカネミ油症被害者救済へ(201)8月19日

~今一度、高校生に迫る、について考える~

私は今月誕生日を迎え、70代半ばに達する。
誕生日となるのが、嬉しいとかいう”感慨”は特にないのだが、
子の世代は40代から50代初めとなり、孫世代は中学から高校生
になっていることに着目しています。

カネミ油症被害者の方々に置き換えてみると、1968年当時、
「カネミライスオイル」に混入したPCB(ポリ塩化ビフェニール)
を摂取した時の親が30代から50代とすると、58年経った現在に
換算するとすでに100歳を越え、亡くなられた方がほとんどで、
そのお子さんだった10代の方が、今の私たちの世代と合致します。

つまり今の私たちの孫世代(高校生)が”同時代”として一巡した
ことになるわけだ。だからこそ今の高校生に「カネミ油症」に
ついて、伝えてゆく意義は大きいと思うわけである。

しかも社会の歴史を見つめ、考える”世界観”に敏感に反応する
時期に符号するのも”高校生”の特権でもある。
昨日札幌で会ったのは、障害者教育に取り組む同学年生でした。
彼は地元北海道の高校新聞部の審査をしていて、今の高校生が
何に”問題意識”を持っているのか、を聞くことができた。
何かしらの”ヒント”が得られたように感じました。

”高校生に迫ってゆく”という視点と試行を今後どのように広げて
行くべきか、さらに追いかけていきたいと思いました。

カネミ油症被害者救済プロジェクト  稲塚秀孝

すべてのカネミ油症被害者救済へ(200)8月18日

 ~カネミ油症 講話に関する考察~

カネミ油症について、講話しませんか?と呼びかけて
います。
国籍、年齢、性別は問いません。講話の内容はご自分
で考えていただくことが必須です。
カネミ油症を知って、いまだに数十万人の方々が被害者と
して認められず、救済されていない現実、実相をぜひ
伝えていただきたい、と考えています。

私が今”交流証言者”となっているのは、長崎平和推進協会
継承課が担当する”派遣事業”(国内各地へ派遣可能)の
一環です。
①家族証言者 被爆者の家族の方20名が登録されています。
②交流証言者 被爆者と交流があったり、被爆体験に関心
       持った方々で、延べ50人余の方がいます。
       中には同じ被爆者の体験を10名がそれぞれ
       語ることもあります。
長崎平和推進協会HPを覗いてください。

すでにお伝えしたように、私が交流証言者として、全国
(主に関西以北)20か所の中学・高校生に講話してきた
ことが基本です。
ただ「カネミ油症」の講話者は、”やりたい人がやる”精神で
いいと考えていますので、取り組むハードルは低くしたい
と思います。

ぜひ 応募をお待ちしています。

カネミ油症被害者救済プロジェクト   稲塚秀孝

すべてのカネミ油症被害者救済へ(199)8月17日

 ~全精力を”高校生に向けて” Ⅱ~

昨日地元「苫小牧映画サークル」第18回上映会で、「陸軍」
(木下恵介監督作品、1944年=昭和19年)をご覧いただき
ました。モノクロ映画で、音声(セリフ)が聞き取りづらい
ところもありましたが、ズシリと重く、響く内容でした。
慶応2年から、日清・日露戦争を経て、太平洋戦争に至る
家族(笠智衆・田中絹代夫婦と子どもたち)を淡々と描いて
います。映画冒頭に、”陸軍省後援”と掲げられて、いわゆる
”国威高揚”を目的とした映画であり、戦時下の福岡が舞台。
戦争遂行の中、圧巻は最後の10分です。町中を進軍行進する
息子を見送る田中絹代さんの演技は、周りで日の丸の旗を
振り、歓声を上げる人々の中で、息子の無事を願い、行進
する姿を見つけ、追いかけるのです。異空間のようでした。

木下恵介監督は、この映画完成後、厳しく叱責され、
終戦まで映画製作に関わることができなかったと聞きました。

木下監督の、映像製作者としての”矜持”を感じました。

そして「カネミ油症」を伝える”講話者”をどのように見つけ、
広めてゆくべきか。考えています。
(198)でお伝えした、被爆体験の”交流証言者”のように、
被害者本人や家族(お子さんやお孫さんなど)ではない
各世代の方々が、「カネミ油症事件」を知り、感じたことを、
ご自分の感性と視点によって、伝えていただくことが大切
だと思います。
ご興味とご関心を持っていただける方は、ぜひ当ホームページ
の”お問い合わせ”コーナーでご連絡をお願いいたします。

今後「講話者制度」の運用についての進捗状況については、
適宜、随時この欄でお伝えして参りたいと思います。

カネミ油症被害者救済プロジェクト 稲塚秀孝

すべてのカネミ油症被害者救済へ(198)8月16日

 ~全精力を”高校生に向けて”~

5年前に長崎平和推進協会の被爆継承活動の中で、
”交流証言者”になりました。
映像取材者として、”二重被爆者”山口彊(つとむ)さんを
取り上げ、ほぼ毎年2校ずつ、9月10日に岡谷東高等学校
(長野県)が20校目となります。
これまで八尾市(大阪府)の中学校を8校訪ねたのが、
2年前で、午前・午後と4日間に渡って、講話をした時は、
ワクワクするような感動を覚えたものです。
そして高校生に話すことは”確かな手ごたえ”を感じ、
講話後に届く”感想文”を読むのが楽しみなのだ。

これは国(厚生労働省)の事業の一環で行われており、
2年前から、二重被爆者福井絹代・相川国義(故人)の
姉弟の講話作成に取り組み、来春には全国行脚を開始
するべく準備を進めています。

今度は「カネミ油症被害者救済プロジェクト」として、
民間の立場で、”カネミ油症とは何か”を伝え歩く講話活動
を行いたいと考えています。もちろん各地で開催する映画
「母と子の絆~カネミ油症の真実」上映会のアフター・
トークで映画製作のキッカケや58年経った今なにを伝え
るべきかも、その一環ではないかと考えています。

今後どのように”カネミ油症講話活動”を展開してゆくべきか
について、実施計画を作成し、「カネミ油症 五島国際
フォーラム2026」で発表したいと思います。
ぜひ皆様からのご意見をお聞かせください。
また”自分も話してみたい”という仲間を募集したいと
思います。

カネミ油症被害者救済プロジェクト 稲塚秀孝

すべてのカネミ油症被害者救済へ(197)8月15日

 ~私の”原点”は恵庭事件判決だった Ⅱ~

また今年も8月15日を迎え、またぞろ「靖国参拝」を
するかどうかの報道が溢れかえっています。
保守の人々の”通過儀礼”にすぎないのかもしれないが、
あるいは”存在証明”なのかもしれないが、いい加減
”あほらしい”ことと思わないのだろうか?
私たちは、きちんと高校の日本史で学んだはずで、
”戦争遂行者(あえてA級・・・・)”を祭った特殊な
神社であって、恥ずべき場所だとしか言いようがない
のである。

さて昨日の(196)の続きをお伝えしたい。これも、
この時節だから、話しておきたいと思うのです。

高校2年の秋の文化祭で、恵庭事件を描いた「叫び」と
いう演劇をクラスメートが”朝練”で一か月練習していた
のは、放課後にはそれぞれ部活があったからで、職員室の
許可をもらい、朝7時過ぎから約一時間、「武道場」で、
本読み→立稽古→通しリハーサルと続けていました。
別に”演劇甲子園”を目指したわけではないが、
そこには”情熱”があったのだと思います。

当時母校には、全国大会出場レベルの演劇部があり、
クラスに数人演劇部員がいたのだが、あえて出演して
もらわなかった。
それは、明らかに演技のレベル差だけが観客に伝わる
だけだと思ったからである。
そして”叫び”を上演するまでを、小説に書いてしまった。
タイトルは「幕が上がるまで」。作家安岡章太郎さんの小説
「幕が下りてから」をなぞったのです。
その小説は「第5回有島青少年文芸賞」(北海道新聞社主催)
の佳作となった。優秀賞は佐藤泰志(函館西高校3年)の
「市街戦のジャズメン」(1967年10月8日の羽田闘争を描いた)
だった。50年前は明らかに”政治の季節”だったのである。
昨年「市街戦のジャズメン 作家佐藤泰志の衝撃」をようやく
完成することができたのだが、その話は別の機会に・・。

そして翌1968年、「群青色の喜劇 ニッポンの高校生」を上演
するのだが、生硬な中身で全く受けなかった。
懲りずに「アスファルトの上を」を書いて、「第6回有島青少年
文芸賞」佳作となりました。

秋、市内の目抜き通りを自衛隊の戦車がパレードを行い、
一人の高校生が路上から”生卵”を戦車に向かって投げるのだが、
届くことなく、アスファルトの上にまき散らされ、”ジュ―”と
音を上げ、警備の警官がこちらに向かってくる。というところで
終わるという内容だった。

私が今注目しているのは、”今を生きる高校生”です。
「二重被爆」「恵庭事件」「カネミ油症」の上映会に来て下さるのは、
60代以上の方々で、
「もっと若い人に見てもらえたらいいのに・・」
という言葉が、アンケート用紙に書き込まれています。
が、生活に懸命に取りくむ20代~30代に期待するのは”酷”では
なかろうか、と思わずにいられません。

これまで以上に全国各地の高校生の皆さんに近づき、迫ることが
求められていると感じています。
あらゆる方法を駆使して・・。

カネミ油症被害者救済プロジェクト  稲塚秀孝

すべてのカネミ油症被害者救済へ(196)8月14日

~私の”原点”は恵庭事件判決だった~

1967年3月29日。私は高校1年の終わり頃だった、
この日の北海道新聞夕刊社会面に”肩すかし判決”の文字
が躍っていた。恵庭事件(島松自衛隊基地内の通信線の
切断)の被告、酪農を営む野崎健美(たけよし)さんと
美晴(よしはる)さん兄弟に自衛隊法121条(防衛の用に
供するものを損壊)違反事件の判決が札幌地裁で出た日
だった。
何が”肩すかし”だったのか?
自衛隊が日本国憲法第9条、前文に掲げられた”平和主義”に
照らして、合憲か違憲かが40回の公判で議論されていた
にも拘わらず、判決では”憲法判断”が下されなかったので
ある。私は自衛隊は”軍隊”であり、軍隊を持たないと定めた
憲法に違反すると理解していたので、なぜ?と思った。

そこからは”一直線”だった。
まず夏休みに恵庭の野崎牧場を訪ね、健美さん、美晴さん
のお話をテープレコーダーに収め、牧場周辺の写真を撮った。
そして10月の高校の文化祭で、クラスメートにプレゼンして、
恵庭事件をテーマとする戯曲”叫び”を上演。脚本・演出だけの
つもりだったが、自衛隊員役を引き受けてくれる友人がなく、
とうとう自分が演じることになった。

地元北海道には自衛隊の基地が多く、町中に隊員募集の事務所
があり、かつては戦車などのパレードも行われていた。
だが今では隊員志望者が減少し、慢性的な欠員状態だという。
一方装備と防衛費はますます拡大化し、やがて隊員不足から
自衛隊は”機能不全”に陥るに違いない。

”核抑止力”と同じように、”防衛抑止力”も”幻想”にすぎない故に、
社会保障費を含めて、国民生活を危機に落とし入れることになる。

8月6日広島、9日長崎、そして15日の”敗戦の日”に至る10日間
において、そろそろ真摯に”虚妄の政治”を廃棄するために、
しっかりと検証・精査しなくてはならないと感じています。

カネミ油症被害者救済プロジェクト  稲塚秀孝

すべてのカネミ油症被害者救済へ(195)8月13日

  ~今後”非認定被害者”と呼びます~

第108回全国高校野球選手権大会が2回戦に入り、
昨日も見ごたえのある好試合がありました。
一方”地域格差”が如実にあって、毎年甲子園にやって
くる”強豪校”とそれ以外との戦いで感じています。

今から20年前の甲子園で見た斎藤佑樹(早実)対田中
将大(駒大苫小牧)の延長引き分けとなった試合、
忘れられない”感動”がありました。
私にとって、”この一試合”に間違いありません。

コロナの時期でしたが、香川県高松市内でインタビュー
させていただいた坂口 力さん(元厚生大臣)逝去の
報道を昨日聞きました。カネミ油症被害者救済に向けて
お力添えされたこと、をお聞きすることができました。
残念ながら「母と子の絆~カネミ油症の真実」(2024年)
に構成できることができませんでしたが、今後の被害者
救済において、大きな力をいただいたと思っています。

国(厚生労働省)が定める被害者の認定=診断基準には、
”法的根拠がない”ことは、「要請書」に記載した通りです。
そして認定されない、国の指示する”検診”を受けていない、
受けることのできない被害者が数多くいて、およそ数十万
人に及ぶと推定ができています。
当プロジェクトとしては、認定ー未認定という”概念”を
認めることはできません。カネミ油症の症状を持つ方は、
等しく”カネミ油症被害者”として、救済されるべきである、
と考えているからです。

今後は、カネミ油症被害者として認められていない方々の
ことを、”非認定被害者”と統一してお呼びいたします。

皆様のご理解をいただきたいと思います。

カネミ油症被害者救済プロジェクト  稲塚秀孝

すべてのカネミ油症被害者救済へ(194)8月12日

 ~何事も、まず疑ってみる~

昨晩から今日一杯の関東地方は、台風の影響で風雨に晒される
見込みです。
外出する際は、充分気を付けてください。

長年テレビ番組、ドキュメンタリー映画製作に携わっていると、
何事も、まず疑ってみることから始まります。そして自分の力で
調べて、事実なのかどうか確認することが肝要でしょうか。
いつの頃からか、手軽に調べることのできる”ウイキペディア”の
情報に惑わされることが多くなり、“一次情報”としてみますが、
必ず確認作業を行います。今でいえば”AI情報=チャットGPT”も
同じです。
おそらくメディアに従事する記者やスタッフも、先輩から指摘されて
いることでしょう。でも報道に失敗はつきもので、校了時間が迫って、
ギリギリでのチェックをおろそかにしたまま、出稿することも
あるはずで、自戒を込めてお伝えしています。

高市政権が進める”消費税減税”が本当に市民生活にとって有効か
否か、喫緊のテーマとして、疑ってみる必要があります。
世界の中で、日本の通貨、日本の評価が揺らぐ可能性があるからです。
来年4月から(予定では)実施されてから、気づくのは遅い、
まさに”破綻へ滑り落ちる”ことになると考えています。
私は今、一人の権力者の”野心と野望”の実現にために、どんなことに
なってゆくのか?一つ一つその行方を見定めようと思います。

カネミ油症救済プロジェクトでは、10月10日開催「カネミ油症
五島国際フォーラム2026」を軸に、その前後(9月後半か10月半ば以降)
に臨時国会が開かれる想定をしながら、どのように対応にしてゆく
べきか、いくつかの”展開案”を台風・お盆休みの中で、練り込んで
行きます。

カネミ油症被害者救済プロジェクト 稲塚秀孝