すべてのカネミ油症被害者救済へ(214)9月2日

 ~今日は”民意”について考えます~

今年2月の衆議院選挙の結果を”民意”の反映と素直に認められない
ところがあるのではないかと、ずっと”もやもや”しています。
日本国民で選挙権を持つ人の半分程度しか投票に行かない状況で、
最終的にはさらにその半分程度の票の数によって割り振られた
結果が”今”となっている点です。

私は今こそ、そこに”焦点”を当てて考えてみませんか?と。
①2月の選挙が”本当の民意”なのかどうか
②今の選挙制度を無条件に認めていいのか?
そこで”何となく流されている人たち”に伝えたい、訴えたいと
思うのです。

”あなたの選択が、確実にあなたに返ってくる”ことをもっと、もっと
知ってほしいと思います。

毎月数回上映会を文京区民センターで行う中で、必ず上映後に来場者
の方々とお話しています。
”アフタートーク”と言い、最初の15分は、観ていただいた映画を製作
した背景やエピソード、製作過程で知ったこと、感じたことについて。
次はご覧になった皆さんの感想や質問、
そして”フリートーク”。

9月30日「市街戦のジャズメン」時には、
「私は最近、国会前の集会に出かけると、娘から『お母さん、恥ずか
しいから、やめて』と言われる。『じゃ、あなたが“推し”のライブ』に
行くのと何が違うの』と返すと、あとはお互いを分かり合えないまま
になるのだが、諦めずにコミュニケーションは取ろうとしています。
私は1965年生まれなので、今日見た”羽田闘争”(1967年10月8日)の
時は2歳だから、何もわからないけど、その場に行ってみようという
気持ちはわかる。そして子育てが一段落したから、私の勝手というか、
自由にしてもいいよね、と思うんです」と。
2か月前の「憲法を武器として」上映会の後では、私と同じ70代の
女性が二人来られて、「月に2回は国会前に行く」と話しています。

私も「今日はどんな人が来てくれるのか?」楽しみです。
9月は19日から23日まで”5日間連続”で上映会を行います。
9月19日(土)「憲法を武器として~恵庭事件 知られざる50年目の真実
9月20日(日)「フクシマ2011~被曝に晒された人々の記録」
9月21日(月・祝)「市街戦のジャズメン~作家佐藤泰志の衝撃」
9月22日(火・祝)「母と子の絆~カネミ油症の真実」
以上は14時から、文京区民センター3C会議室
そして
9月23日(水・祝)「幻のかくめい~筑豊からのメッセージ」
これは最新作の試写・上映会なのと、会場が20名迄なので、予約をして
下さい。文京区民センター3D会議室です。
問合せは、090-3433-6644までお願いします。

カネミ油症被害者救済プロジェクト  稲塚秀孝

すべてのカネミ油症被害者救済へ(213)9月1日

 ~「カネミ油症被害」の”継承”のカタチ Ⅱ~

厚生労働省健康・生活局からの回答の件。
一応10日間の”回答猶予”を今日伝えます。
これ以上は待てません。

そして9月11日には「要請書」(11回目)を担当者
(名前不明)に送ります。
7月以降のやり取りも含め、旧知のメディア記者と
国会議員の方にも送ろうと思います。

被爆者の対応は、同じ厚生労働省管轄ですので、
被爆体験継承と同レベルで、カネミ油症被害体験の
継承に取り組んでもらうよう、要請します。
すぐ実現しないと思いますので、当プロジェクトと
して、「カネミ油症 を伝える」(仮称)方を募集
しようと思います。
◆年齢その他不問。
◆カネミ油症被害者救済の一環として協力できる方
であれば、誰でも結構です。

「カネミ油症 五島国際フォーラム」(10月10日)
では、具体的な要項(マニュアル)発表と告知して
行きたいと思います。
このHPを舞台に展開したいと思います。

当面は「母と子の絆~カネミ油症の真実」上映会と
連動したいと思いますが、全国の各学校、教育施設、
NPO法人など、さまざまな方々の希望をいただいて、
伝えてくれる方を派遣してゆこうと思います。

映画のパンフレットも活用したいと思いますし、新たに
資料を作成しようと考えています。

皆さん、参加してみたい方は、ぜひこちらにお問い合わせ
下さい。ご返事させていただきます。

カネミ油症被害者救済プロジェクト 稲塚秀孝
inazuka.takionjapan@gmail.com

すべてのカネミ油症被害者救済へ(212)8月31日

  ~「カネミ油症被害」の”継承”のカタチ~

一昨年9月、大阪・摂南大学薬学部の1年生の方々に、
出来立てほやほやの「母と子の絆~カネミ油症の真実」を
ご覧いただきました。
およそ200人のうち、女性が80%以上。
卒業後は薬剤師、看護師、ドラックストアなどで勤務する
予定と聞きました。
持参したアンケート用紙に書き込んでいただくと、
カネミ油症を知らなかった学生は95%を越えました。

カネミ油症(1968年)から、56年(上映時)が経過しており、
報道もされず、教科書にもほとんど載っていない現状から、
”さもありなん”と感じました。

ですから”伝えてゆく”ことが大事と考え、この欄でも”語り部”を
具体化したいとお伝えしました。

私は長崎平和推進協会の”交流証言者”に登録し、二重被爆した
山口彊(つとむ)さん(1916~2010)の被爆体験と取材者の
思いを年間2~3の中学・高校を訪ねて、お話しています。

今後こうした提案と活動を行っていきたいと思います。
ではどこから始めるか?
やはり、原因企業「カネミ倉庫」があり、被害者も数多い
福岡県北九州市小倉からではないかと考えています。

摂南大学の18歳の女性の答えには、
「カネミ油症の被害を知ることができたので、今後私が働くことに
なったら、出会う皆さんに伝えていきたいと思います」と
ありました。

カネミ油症被害者救済プロジェクト  稲塚秀孝

すべてのカネミ油症被害者救済へ(211)8月30日

 ~あえて問う”名を名乗れ”と~

昔のチャンバラ映画のワンシーンの話ですが、いわく
因縁のある武士同士が対決するシーンでは、お互いの
名を名乗って、それぞれの”流派”を明らかにしたうえで
闘うのが習わしだったと覚えています。

一昨日厚生労働省健康・生活課の”どなたか?”からメールが
ありましたが、メールを送って下さった方のお名前が
書かれておりませんでした。
そもそも2024年12月から始まった「要請書」と回答の
やり取りにおいて、9回目、10回目の回答がない事により、
「今月末までに回答いただきたい」と催促したのですが、
「今しばらくお待ちいただきたい」という内容なの
です。
そこで私はその”名無しの権兵衛さん”(古い言い回し)
に対して、
「回答期限(6月末)から2か月も遅れているのだから、
せめて”いつまでに回答します”というのが、筋ではない
だろうかと返信したところです。

最近一部の省庁や自治体では、こうして名前を明らかに
しないケースが”常態化”していると聞いています。
何か”やましい”ことがあるのか?
メールのやり取りが何かの”証拠”になると考えているのか?
納得がいかないと思いました。

まさしく細かい”ディテール”ではありますが、大事に
したいと考えています。

カネミ油症被害者救済プロジェクト  稲塚秀孝

すべてのカネミ油症被害者救済へ(210)8月29日

 ~北九州はカネミ油症の”原点”である Ⅱ~

北九州市小倉は、カネミ油症の原因企業である「カネミ
倉庫」があり、カネミ油症の”原点の街”と言っていい。
昨日も”旦過”(北九州モノレール)そばにある検診会場
から、平和通り、小倉駅と歩いた。駅のそばには、
昭和の匂いをプンプンとさせた街並みが魅力的である。

次回のカネミ油症検診は9月9日。
私は行けないが、早急に「北九州被害者の会」を立ち上げたい
と考えています。目指すのは「すべてのカネミ油症被害者」
の集まる会であること。それが出来上がれば、被害者救済へ
向けて、新たな”起爆剤”となることは間違いない。

カネミ油症被害者救済プロジェクト   稲塚秀孝

すべてのカネミ油症被害者救済へ(209)8月28日

  ~北九州は”カネミ油症”の原点である~

昨日は「カネミ油症福岡県検診」が北九州市内で行われた。
前日の長崎県の対応と異なり、会場内へは入ることができない。
朝9時に会場前ロビーに行くと、2人の受診者のみ。
いずれも70~80代の女性。話しかけてみます。
58年前に「カネミライスオイル」を口にしており、認定被害者
でした。受付開始の9時30分には、30人以上が集まり、
用意された椅子に座りきれず、並ぶ方も・・。
長崎では、係の女性2名が、受付前から受診者に声掛けをして、
丁寧なフォーローをしていたが、北九州市ではそれがない。
それぞれの自治体の”流儀”なのだろうか?

なぜ35度を越えるこの時期に検診日が設定されるのか?
大きな疑問が会場から聞かれた。
何より、ご高齢で、歩行もままならない方がいるのに、検診時期
は酷暑の7月・8月から5月にならないのだろうか?
毎年検診の実施予算は計上されているのだから、行政の判断で変更
できそうなものである。

次回厚生労働省への「要請書」(第11回)に記載しようと思う。

およそ2時間の検診を終えて、ホッとした表情の方々に声をかける。
その中に15歳ほどの少年がいた。
「僕の身体は50歳」と叫ぶ少年は、検査の中で医師にそう言われた
ようだ。当然被害者として認められていない”非認定被害者”です。
お母さんは40代後半でしょうか?
「今度じっくりお話を聞かせて下さいね。今日はお疲れ様でした」
と。

そして午前の部の最後、86歳の女性は、2023年に亡くなった
矢野忠義さんと小倉で「カネミ倉庫」に抗議行動をされた経験を
持っていました。
矢野さんが亡くなったことを伝えると、目を見開き、
「私も体調が悪く、しばらく検診にも来られなかった・・」と。
検診の”現場”にはさまざまな被害者が来ています。

カネミ油症被害者救済プロジェクト  稲塚秀孝

すべてのカネミ油症被害者救済へ(208)8月27日

  ~長崎は暑かった~

昨日は「カネミ油症 長崎県検診」が長崎駅に接する
「出島メッセ」の会議室を3室押さえて行われました。
朝9時に長崎県の担当者と挨拶。医師、看護師に長崎大学
の院生の応援もあり、スタッフは30名を越えていました。
9時30分から受診者が集まり、検診が開始しました。
私はロビーで、あらかじめ用意したアンケートと連絡を
お願いする用紙と五島フォーラムのチラシを渡します。

話してみると、五島出身の方がいかに多いのか?
奈留、福江、玉之浦などで、前日に玉之浦に行っていたので、
湾に面して、玉之浦教会、郵便局、かつてスーパーがあった
場所、漁協組合、小中学校の今を話題にして、お話が弾み
ました。
今回の目的は、非認定(カネミ油症と認められない)の方との
接点づくりです。いきなりカメラを向けることはしません。
じっくりと、カネミ油を食べた経緯、家族や兄弟の様子を
聞きます。

当時(58年前)に小学生(10歳前後)の方が多いのですが、
30代から50代前半にかかる、お子さん世代もちらほら見受け
られますので、声をかけてみました。ご主人か兄弟と母親の
3人でいらっしゃいました。
母親は認定被害者、男女は非認定ですが、ご自分の症状や
検診を受けに来られた経緯について、語ることはなく、
頑なな印象を受けました。おそらく、大変な決意をして受診
に来られたのだと思いました。

昨晩の内に、長崎から福岡県北九州に移動しました。
今日は一切、会場内の撮影と取材も難しいと聞かされている
ので、酷暑の屋外でお話しできればと思いますが、そもそも
体調の良くない方も多いので、配慮させていただこうと思い
ます。
数十万と推察される”非認定被害者”の取材をどのように進めて
行くべきなのか?
私も試されていると感じています。

カネミ油症被害救済プロジェクト  稲塚秀孝

すべてのカネミ油症被害者救済へ(207)8月26日

  ~五島が”原点”である Ⅲ~

2泊3日で五島を巡りました。
奈留から福江、玉之浦へ。
昨日は福江市内から40㌔離れた玉之浦へ向かいました。
かつて「カネミライスオイル」を積み込んだ船が玉之浦
の港に(PCBが混入した油)を運んだと聞いています。

「カネミ油症 五島市の会」の幹部のお二人と話します。
まもなく開始する「臨時国会」へ向けて、何をすべきか
お考えをお聞きし、当プロジェクトの活動方針をお伝え
しました。
交流を重ね、お話を進め、具体的な活動ぶりを知っていた
だくことで、少しずつコミュニケーションが深まります。
合間に、名物「五島うどん」いただきました。

今回の会話を通じて、強く”背中を押された”と感じました。

昨日夕方に福江港から長崎港へ移動し、今日午前には
カネミ油症長崎県検診(出島メッセ)に向かいます。
そして明日は福岡県検診(北九州市で開催)と続きます。

今回の打合せは、「カネミ油症 五島国際フォーラム2026」
に向けた準備行動でしたが、ほぼ無事に完了しました。

帰京後は「臨時国会」に向けた準備を進めます。

カネミ油症被害者救済プロジェクト  稲塚秀孝

すべてのカネミ油症被害者救済へ(205)8月24日

  ~五島が”原点”である~

昨日の朝、「太古丸」で奈留島に到着。
朝焼けの海が圧倒的に美しい。
この島に58年前、「カネミ油」が持ち込まれ、当時7000人
いた島民(当時は奈留町)のほとんどが、各集落で「カネミ
油」(毒の油)を食べている。
しかし、地区によっては「一切食べていない」と言い、
「カネミ油症被害者」であることを”拒否”したまま、亡く
なった人も多い。
私は同じような話を長崎市でも聞いている。
「自分は被爆していない、被爆者ではない」と言い続けて
亡くなった父親のことを話してくれたのは、8歳で広島と
長崎で被爆した方だった。

今回の五島への訪問の目的は、
①「カネミ油症 五島国際フォーラム2026」(10月10日開催)
 の前準備
②カネミ油症被害者として、認められていない方捜索の
 手がかりを得ることである。
 そのための”聞き取り”を始めているうちに、さまざまな
 未知の情報に遭遇することになる。

昨日だけで6名の方々に接し、メモを取りながら、今後の
具体的な取材のプロセスを考えています。

カネミ油症被害者救済プロジェクト   稲塚秀孝

すべてのカネミ油症被害者救済へ(205)8月23日

 ~ドキュメンタリーは”告発”~

日付をまたいで、博多から五島(長崎県)行きのフェリー
「太古丸」に乗っています。
次回作(15作目)「幻のかくめい」を”尺”にして、ホッと
一息つく間もなく、新千歳空港→神戸空港を経由して、
三ノ宮駅に着いたら、山陽本線は2時間のストップ状態。
何とかかんとか博多まで辿り着いた次第。
夏休みの時期なので、いつになく船は混んでいます。

映画製作を始めた2006年「二重被爆」以来、私の思いは
「ドキュメンタリーは”告発”」という考えに貫かれている。
映画「母と子の絆~カネミ油症の真実」も、このような
不条理のまま、なおざりにした”国の無策を問う”と取材は
続き、ようやく2024年に映画が完成したのです。
そして、その後もカメラで記録を取り続けているが、映画
製作ではない、つまりまだ”その気にならない”のです。

映画完成と共に、第一次「へその緒検査」の結果が出て、
岩村定子さんが亡くなり(昨年春)、今第二次「へその緒
検査」が進行中。
「へその緒プロジェクト」は、「カネミ油症被害者救済
プロジェクト」へと進みました。
「ドキュメンタリーは”告発”」はさらに進行中なのです。

今日8月23日朝に奈留島に到着後、旧知の皆さんに会う目的
は、「カネミ油症 五島国際フォーラム2026」から始まる、
新たな”提案”と”告発活動”の端緒となることを伝えることに。

そして今日8月23日は、私の76歳の誕生日です。

まだまだやることがあると思っているので、
五島の海にあがる日の出に向かい、
”もう少し時間をください!”と胸のうちで手を合わせる
ことにいたします。

カネミ油症被害者救済プロジェクト 稲塚秀孝