すべてのカネミ油症被害者救済へ(199)8月17日

 ~全精力を”高校生に向けて” Ⅱ~

昨日地元「苫小牧映画サークル」第18回上映会で、「陸軍」
(木下恵介監督作品、1944年=昭和19年)をご覧いただき
ました。モノクロ映画で、音声(セリフ)が聞き取りづらい
ところもありましたが、ズシリと重く、響く内容でした。
慶応2年から、日清・日露戦争を経て、太平洋戦争に至る
家族(笠智衆・田中絹代夫婦と子どもたち)を淡々と描いて
います。映画冒頭に、”陸軍省後援”と掲げられて、いわゆる
”国威高揚”を目的とした映画であり、戦時下の福岡が舞台。
戦争遂行の中、圧巻は最後の10分です。町中を進軍行進する
息子を見送る田中絹代さんの演技は、周りで日の丸の旗を
振り、歓声を上げる人々の中で、息子の無事を願い、行進
する姿を見つけ、追いかけるのです。異空間のようでした。

木下恵介監督は、この映画完成後、厳しく叱責され、
終戦まで映画製作に関わることができなかったと聞きました。

木下監督の、映像製作者としての”矜持”を感じました。

そして「カネミ油症」を伝える”講話者”をどのように見つけ、
広めてゆくべきか。考えています。
(198)でお伝えした、被爆体験の”交流証言者”のように、
被害者本人や家族(お子さんやお孫さんなど)ではない
各世代の方々が、「カネミ油症事件」を知り、感じたことを、
ご自分の感性と視点によって、伝えていただくことが大切
だと思います。
ご興味とご関心を持っていただける方は、ぜひ当ホームページ
の”お問い合わせ”コーナーでご連絡をお願いいたします。

今後「講話者制度」の運用についての進捗状況については、
適宜、随時この欄でお伝えして参りたいと思います。

カネミ油症被害者救済プロジェクト 稲塚秀孝

すべてのカネミ油症被害者救済へ(198)8月16日

 ~全精力を”高校生に向けて”~

5年前に長崎平和推進協会の被爆継承活動の中で、
”交流証言者”になりました。
映像取材者として、”二重被爆者”山口彊(つとむ)さんを
取り上げ、ほぼ毎年2校ずつ、9月10日に岡谷東高等学校
(長野県)が20校目となります。
これまで八尾市(大阪府)の中学校を8校訪ねたのが、
2年前で、午前・午後と4日間に渡って、講話をした時は、
ワクワクするような感動を覚えたものです。
そして高校生に話すことは”確かな手ごたえ”を感じ、
講話後に届く”感想文”を読むのが楽しみなのだ。

これは国(厚生労働省)の事業の一環で行われており、
2年前から、二重被爆者福井絹代・相川国義(故人)の
姉弟の講話作成に取り組み、来春には全国行脚を開始
するべく準備を進めています。

今度は「カネミ油症被害者救済プロジェクト」として、
民間の立場で、”カネミ油症とは何か”を伝え歩く講話活動
を行いたいと考えています。もちろん各地で開催する映画
「母と子の絆~カネミ油症の真実」上映会のアフター・
トークで映画製作のキッカケや58年経った今なにを伝え
るべきかも、その一環ではないかと考えています。

今後どのように”カネミ油症講話活動”を展開してゆくべきか
について、実施計画を作成し、「カネミ油症 五島国際
フォーラム2026」で発表したいと思います。
ぜひ皆様からのご意見をお聞かせください。
また”自分も話してみたい”という仲間を募集したいと
思います。

カネミ油症被害者救済プロジェクト 稲塚秀孝

すべてのカネミ油症被害者救済へ(197)8月15日

 ~私の”原点”は恵庭事件判決だった Ⅱ~

また今年も8月15日を迎え、またぞろ「靖国参拝」を
するかどうかの報道が溢れかえっています。
保守の人々の”通過儀礼”にすぎないのかもしれないが、
あるいは”存在証明”なのかもしれないが、いい加減
”あほらしい”ことと思わないのだろうか?
私たちは、きちんと高校の日本史で学んだはずで、
”戦争遂行者(あえてA級・・・・)”を祭った特殊な
神社であって、恥ずべき場所だとしか言いようがない
のである。

さて昨日の(196)の続きをお伝えしたい。これも、
この時節だから、話しておきたいと思うのです。

高校2年の秋の文化祭で、恵庭事件を描いた「叫び」と
いう演劇をクラスメートが”朝練”で一か月練習していた
のは、放課後にはそれぞれ部活があったからで、職員室の
許可をもらい、朝7時過ぎから約一時間、「武道場」で、
本読み→立稽古→通しリハーサルと続けていました。
別に”演劇甲子園”を目指したわけではないが、
そこには”情熱”があったのだと思います。

当時母校には、全国大会出場レベルの演劇部があり、
クラスに数人演劇部員がいたのだが、あえて出演して
もらわなかった。
それは、明らかに演技のレベル差だけが観客に伝わる
だけだと思ったからである。
そして”叫び”を上演するまでを、小説に書いてしまった。
タイトルは「幕が上がるまで」。作家安岡章太郎さんの小説
「幕が下りてから」をなぞったのです。
その小説は「第5回有島青少年文芸賞」(北海道新聞社主催)
の佳作となった。優秀賞は佐藤泰志(函館西高校3年)の
「市街戦のジャズメン」(1967年10月8日の羽田闘争を描いた)
だった。50年前は明らかに”政治の季節”だったのである。
昨年「市街戦のジャズメン 作家佐藤泰志の衝撃」をようやく
完成することができたのだが、その話は別の機会に・・。

そして翌1968年、「群青色の喜劇 ニッポンの高校生」を上演
するのだが、生硬な中身で全く受けなかった。
懲りずに「アスファルトの上を」を書いて、「第6回有島青少年
文芸賞」佳作となりました。

秋、市内の目抜き通りを自衛隊の戦車がパレードを行い、
一人の高校生が路上から”生卵”を戦車に向かって投げるのだが、
届くことなく、アスファルトの上にまき散らされ、”ジュ―”と
音を上げ、警備の警官がこちらに向かってくる。というところで
終わるという内容だった。

私が今注目しているのは、”今を生きる高校生”です。
「二重被爆」、「恵庭事件」、「カネミ油症」の上映会に来て下さるのは、
60代以上の方々で、
「もっと若い人に見てもらえたらいいのに・・」
という言葉が、アンケート用紙に書き込まれています。
が、生活に懸命に取りくむ20代~30代に期待するのは”酷”では
なかろうか、と思わずにいられません。

これまで以上に全国各地の高校生の皆さんに近づき、迫ることが
求められていると感じています。
あらゆる方法を駆使して・・。

カネミ油症被害者救済プロジェクト  稲塚秀孝

すべてのカネミ油症被害者救済へ(196)8月14日

~私の”原点”は恵庭事件判決だった~

1967年3月29日。私は高校1年の終わり頃だった、
この日の北海道新聞夕刊社会面に”肩すかし判決”の文字
が躍っていた。恵庭事件(島松自衛隊基地内の通信線の
切断)の被告、酪農を営む野崎健美(たけよし)さんと
美晴(よしはる)さん兄弟に自衛隊法121条(防衛の用に
供するものを損壊)違反事件の判決が札幌地裁で出た日
だった。
何が”肩すかし”だったのか?
自衛隊が日本国憲法第9条、前文に掲げられた”平和主義”に
照らして、合憲か違憲かが40回の公判で議論されていた
にも拘わらず、判決では”憲法判断”が下されなかったので
ある。私は自衛隊は”軍隊”であり、軍隊を持たないと定めた
憲法に違反すると理解していたので、なぜ?と思った。

そこからは”一直線”だった。
まず夏休みに恵庭の野崎牧場を訪ね、健美さん、美晴さん
のお話をテープレコーダーに収め、牧場周辺の写真を撮った。
そして10月の高校の文化祭で、クラスメートにプレゼンして、
恵庭事件をテーマとする戯曲”叫び”を上演。脚本・演出だけの
つもりだったが、自衛隊員役を引き受けてくれる友人がなく、
とうとう自分が演じることになった。

地元北海道には自衛隊の基地が多く、町中に隊員募集の事務所
があり、かつては戦車などのパレードも行われていた。
だが今では隊員志望者が減少し、慢性的な欠員状態だという。
一方装備と防衛費はますます拡大化し、やがて隊員不足から
自衛隊は”機能不全”に陥るに違いない。

”核抑止力”と同じように、”防衛抑止力”も”幻想”にすぎない故に、
社会保障費を含めて、国民生活を危機に落とし入れることになる。

8月6日広島、9日長崎、そして15日の”敗戦の日”に至る10日間
において、そろそろ真摯に”虚妄の政治”を廃棄するために、
しっかりと検証・精査しなくてはならないと感じています。

カネミ油症被害者救済プロジェクト  稲塚秀孝

すべてのカネミ油症被害者救済へ(195)8月13日

  ~今後”非認定被害者”と呼びます~

第108回全国高校野球選手権大会が2回戦に入り、
昨日も見ごたえのある好試合がありました。
一方”地域格差”が如実にあって、毎年甲子園にやって
くる”強豪校”とそれ以外との戦いで感じています。

今から20年前の甲子園で見た斎藤佑樹(早実)対田中
将大(駒大苫小牧)の延長引き分けとなった試合、
忘れられない”感動”がありました。
私にとって、”この一試合”に間違いありません。

コロナの時期でしたが、香川県高松市内でインタビュー
させていただいた坂口 力さん(元厚生大臣)逝去の
報道を昨日聞きました。カネミ油症被害者救済に向けて
お力添えされたこと、をお聞きすることができました。
残念ながら「母と子の絆~カネミ油症の真実」(2024年)
に構成できることができませんでしたが、今後の被害者
救済において、大きな力をいただいたと思っています。

国(厚生労働省)が定める被害者の認定=診断基準には、
”法的根拠がない”ことは、「要請書」に記載した通りです。
そして認定されない、国の指示する”検診”を受けていない、
受けることのできない被害者が数多くいて、およそ数十万
人に及ぶと推定ができています。
当プロジェクトとしては、認定ー未認定という”概念”を
認めることはできません。カネミ油症の症状を持つ方は、
等しく”カネミ油症被害者”として、救済されるべきである、
と考えているからです。

今後は、カネミ油症被害者として認められていない方々の
ことを、”非認定被害者”と統一してお呼びいたします。

皆様のご理解をいただきたいと思います。

カネミ油症被害者救済プロジェクト  稲塚秀孝

すべてのカネミ油症被害者救済へ(194)8月12日

 ~何事も、まず疑ってみる~

昨晩から今日一杯の関東地方は、台風の影響で風雨に晒される
見込みです。
外出する際は、充分気を付けてください。

長年テレビ番組、ドキュメンタリー映画製作に携わっていると、
何事も、まず疑ってみることから始まります。そして自分の力で
調べて、事実なのかどうか確認することが肝要でしょうか。
いつの頃からか、手軽に調べることのできる”ウイキペディア”の
情報に惑わされることが多くなり、“一次情報”としてみますが、
必ず確認作業を行います。今でいえば”AI情報=チャットGPT”も
同じです。
おそらくメディアに従事する記者やスタッフも、先輩から指摘されて
いることでしょう。でも報道に失敗はつきもので、校了時間が迫って、
ギリギリでのチェックをおろそかにしたまま、出稿することも
あるはずで、自戒を込めてお伝えしています。

高市政権が進める”消費税減税”が本当に市民生活にとって有効か
否か、喫緊のテーマとして、疑ってみる必要があります。
世界の中で、日本の通貨、日本の評価が揺らぐ可能性があるからです。
来年4月から(予定では)実施されてから、気づくのは遅い、
まさに”破綻へ滑り落ちる”ことになると考えています。
私は今、一人の権力者の”野心と野望”の実現にために、どんなことに
なってゆくのか?一つ一つその行方を見定めようと思います。

カネミ油症救済プロジェクトでは、10月10日開催「カネミ油症
五島国際フォーラム2026」を軸に、その前後(9月後半か10月半ば以降)
に臨時国会が開かれる想定をしながら、どのように対応にしてゆく
べきか、いくつかの”展開案”を台風・お盆休みの中で、練り込んで
行きます。

カネミ油症被害者救済プロジェクト 稲塚秀孝

すべてのカネミ油症被害者救済へ(193)8月11日

 ~カネミ油症被害者何人?~

1945年8月6日、広島に原爆が投下され、町は焼け野原と化し、
ほぼ半分の方々が即死、数か月以内で亡くなったという。
翌8月7日昼頃、己斐駅から避難列車が西に向かっている。
被爆した広島駅は列車が通過できず、西へ2駅の己斐駅から
生き残った国鉄職員の力で動かすことができた。今も当時の
詳しい運転記録は残っていない。そこは列車の乗客の記憶に
頼るしかない。
山口彊さん(当時29歳)は、己斐駅に向かう路面電車の鉄橋を、
腹ばいになって渡り、ようやく列車の窓側の席に座ることが
できた。窓越しのホームにある水道の蛇口が被爆で壊れていて、
水が迸っているのが見え、のどが渇いて飲みたかったが、席を
離れる気力も体力もなく、ただ眺めていたと思いだして
いました。
己斐駅は今の西広島駅で、駅前には路面電車の己斐駅が今も
残っており、駅前の一角には“碑”が立っている。

福井絹代さん(当時14歳)は、爆心から1.7㌔で被爆後、”比治山”
”広島大学の敷地で野宿””似島の防空壕”から、8月8日広島駅から
避難列車に乗ったと話します。2歳年下の国義さんと、故郷長崎
に戻ることにしたのです。2日間何も口にしていなかった2人は、
列車で知り合った母子(下関で下車)から、
「二人で食べて」と水蜜桃を2個いただき、
「あの水蜜桃はおいしくて、いま思い出しても涙が出ます」と。

広島と長崎の平和祈念館に数年間通い、被爆体験記や各地の
被爆団体発行の手記を書き写すことで、
映画「ヒロシマ ナガサキ 最後の二重被爆者」(2019)では、
135名のお名前と肩書(一部不明)を知ることができました。

その後、その数は150名を越えることができました。

福井絹代さんと一昨日お話をしました。8月14日に96歳の誕生日
を迎えますので、15日に福井さんが住む青森市を訪ねることに
しています。楽しみです。

「カネミ油症の被害者」特に、国に被害者として認められていない
方々は、数十万人に及ぶと考えられています。
すでに亡くなってしまった方、「カネミライスオイル」を食べた方の
お子さん、お孫さん、さらにひ孫さんに至るまで、気の遠くなるような
”不条理な事実”は58年の歴史に埋もれていると思います。

まず、一歩ずつでしょうか。
これからも皆さんにお伝えして行きながら、進めて行きたいと思います。

カネミ油症被害者救済プロジェクト  稲塚秀孝

すべてのカネミ油症被害者救済へ(192)8月10日

 ~8月9日、長崎平和宣言~

昨日は長崎に原爆投下されてから81年目でした。
「長崎平和宣言」が始まったのは、1948年(昭和23年)からで、
1950年を除いて、毎年読み上げられてきました。
今回は鈴木史朗長崎市長が読み、「人間と核兵器は共存できない」
「核抑止論は成立しない」と述べていた。
そして6歳の時に被爆した本村チヨ子さんが、自らの被爆体験の
記憶をゆっくりと語っていました。被爆後倒壊した中庭に倒れた
チヨ子さんを、ご自分の身体で覆い、守ってくれた祖母は、翌年
春に亡くなったという。

広島に続いて、高市総理は”言葉遊び”に終始していた。「非核三原則」
を堅持し、核拡散条約に取り組むことはあり得ないようだ。

長崎市原爆被爆対策部には、広島と長崎で二度被爆した“両市被爆”者
の名前が記録されていて、胎内被爆の2名を含む、9名と聞いている。
数年前には13名でしたから、次第に減っているのが現実なのでしょう。

一方、広島市役所には、”両市被爆”者の記録はなく、そもそも遺されて
いない。8月6日に広島、9日に長崎という時系列から考えて、当然とも
言えるのだが、現実には広島→長崎→広島、長崎→広島で居住された
方もいたのだが、おそらく”想像力”が働かなかったのだろうか。

カネミ油症の場合、国(厚生労働省)が被害者として認めない人が
どの位いるのか?親から子や孫にダイオキシン類(カネミライスオイル)
が「へその緒」を通じて移行していることが明らかなので、増え続けて
いるのではないかと考えられている。

国が記録、調査しようとしないのであれば、当プロジェクトが統計的な
見地から、根拠を基に明らかにしなくてはいけないと考えており、
いま着手し始めたところです。
10月開催の「カネミ油症 五島国際フォーラム2026」には、指針を
示したいと考えています。

カネミ油症被害者救済プロジェクト  稲塚秀孝

すべてのカネミ油症被害者救済へ(191)8月9日

~8月9日・長崎、「二重被爆」から「カネミ油症」へ~

私がテレビ番組製作からドキュメンタリー映画に軸足を
移したきっかけは、”広島と長崎で2度被爆した人”の存在
で、今から20年前に製作した「二重被爆」(2006)でした。
私は初めて被爆をテーマとしし取り組むことになり、取材を
通して、いろいろ分かったことがありました。

テレビ番組は、放送局に企画を通せば、番組制作契約を交わし、
製作費の対価を得られますから、基本的に”赤字”を背負うこと
はありません。しかし、映画製作は費用を自前で調達しなく
てはならず、映画完成後に劇場公開して初めて、製作費の一部
が回収できるのです。そんなことも分からず、当時文化庁の
”芸術振興基金助成制度”に応募し、通過したことで、何とか
製作に踏み切ることができたのです。

被爆者の支援は、厚生省(当時)の管轄で、川崎厚生大臣に
インタビューの申し込みをするために、総務課へ取材申請を
送りました。
しかし2週間、3週間が待っても返事が来ないので、担当者に
問合せをしました。
その時、担当者から、思いがけない答えが返ってきたのです。
「取材のテーマが、二重被爆とありましたが、広島でも、長崎
でも、被爆者の支援はお一人1回ですから、二度被爆したからと
いって、支援が2倍になるわけがありませんよ。大体、文化庁は
国の機関なのに、なぜ助成金を出すと決めたんでしょうね。
大臣は忙しいので、この件でインタビューはできません」と、
ケンもホロロでしたが、驚いたのはそこではありません。

”厚生官僚はそんな風に思考回路ができているんだ、と。
私は被爆者への支援を2倍にと、一言も言っていないのに・・。

そして20年が経過し、2年前から厚生労働省 健康・生活局の
担当者と、カネミ油症被害者救済へ、と向き合っています。
7月5日に提出した「要請書」(10回目)の回答がまだ届きません。
お盆明けまでに届かないとしたら、国会議員と相談し、
議員と共に回答をお聞きする機会を作っていただくことを
考えています。

改めて「要請書」(10回目)を皆さんにご覧いただきたいと
思います。

カネミ油症被害者救済プロジェクト  稲塚秀孝

すべてのカネミ油症被害者救済へ(190)8月8日

 ~”自立と自律”ということ~

先日の”為替介入”が米国の戦略のもとで実施されていた
こと、その実態が明らかにされている。
そしてベッセン財務長官の”冷徹な談話”も伝えられた。
長年続いた”アベノミクス”なる”幻想”の終焉に違いない。

米国による”原爆投下”から81年経過した今、日本は
軍備、核戦略、経済、文化・・あらゆる分野で、米国に
支配されている”現実”を、改めて思い知らされたのかも
しれない。

私が1973年から参加した映像製作会社の運営を司る代表は
3名で、いずれも東京放送(TBS)闘争を経た”ツワモノ”
だった。
「放送局の”下請け”に甘んじず、放送に携わる者として
”自立と自律”で生きよう」と宣言していた。
だからその組織に参加するものは、
”社員ではなく、同等の権利を持つメンバーである”
と告げられていた。
当初私はよく理解できていなかったが、それから半世紀経った
今こそ、その意味が身に染みていると思うようになった。

8月6日、9日そして8月15日のこの時期にこそ、日本と日本人は
”自立と自律”に生きることを、肝に銘じなくてはいけないと
思う。
と言うと、すぐに誤解する人がいるのかもしれないが、
日本が自前の軍事力を持たなくては、ということではない。
”真逆”の考えである。

「カネミ油症 五島国際フォーラム2026」(10月10日長崎県
五島市にて開催)を企画し、実施しようと準備しているのも、
”自立と自律”の理念を具現化しようとする”プロセス”なのだと
思います。

カネミ油症被害者救済プロジェクト  稲塚秀孝