~私の”原点”は恵庭事件判決だった~
1967年3月29日。私は高校1年の終わり頃だった、
この日の北海道新聞夕刊社会面に”肩すかし判決”の文字
が躍っていた。恵庭事件(島松自衛隊基地内の通信線の
切断)の被告、酪農を営む野崎健美(たけよし)さんと
美晴(よしはる)さん兄弟に自衛隊法121条(防衛の用に
供するものを損壊)違反事件の判決が札幌地裁で出た日
だった。
何が”肩すかし”だったのか?
自衛隊が日本国憲法第9条、前文に掲げられた”平和主義”に
照らして、合憲か違憲かが40回の公判で議論されていた
にも拘わらず、判決では”憲法判断”が下されなかったので
ある。私は自衛隊は”軍隊”であり、軍隊を持たないと定めた
憲法に違反すると理解していたので、なぜ?と思った。
そこからは”一直線”だった。
まず夏休みに恵庭の野崎牧場を訪ね、健美さん、美晴さん
のお話をテープレコーダーに収め、牧場周辺の写真を撮った。
そして10月の高校の文化祭で、クラスメートにプレゼンして、
恵庭事件をテーマとする戯曲”叫び”を上演。脚本・演出だけの
つもりだったが、自衛隊員役を引き受けてくれる友人がなく、
とうとう自分が演じることになった。
地元北海道には自衛隊の基地が多く、町中に隊員募集の事務所
があり、かつては戦車などのパレードも行われていた。
だが今では隊員志望者が減少し、慢性的な欠員状態だという。
一方装備と防衛費はますます拡大化し、やがて隊員不足から
自衛隊は”機能不全”に陥るに違いない。
”核抑止力”と同じように、”防衛抑止力”も”幻想”にすぎない故に、
社会保障費を含めて、国民生活を危機に落とし入れることになる。
8月6日広島、9日長崎、そして15日の”敗戦の日”に至る10日間
において、そろそろ真摯に”虚妄の政治”を廃棄するために、
しっかりと検証・精査しなくてはならないと感じています。
カネミ油症被害者救済プロジェクト 稲塚秀孝