~8月9日・長崎、「二重被爆」から「カネミ油症」へ~
私がテレビ番組製作からドキュメンタリー映画に軸足を
移したきっかけは、”広島と長崎で2度被爆した人”の存在
で、今から20年前に製作した「二重被爆」(2006)でした。
私は初めて被爆をテーマとしし取り組むことになり、取材を
通して、いろいろ分かったことがありました。
テレビ番組は、放送局に企画を通せば、番組制作契約を交わし、
製作費の対価を得られますから、基本的に”赤字”を背負うこと
はありません。しかし、映画製作は費用を自前で調達しなく
てはならず、映画完成後に劇場公開して初めて、製作費の一部
が回収できるのです。そんなことも分からず、当時文化庁の
”芸術振興基金助成制度”に応募し、通過したことで、何とか
製作に踏み切ることができたのです。
被爆者の支援は、厚生省(当時)の管轄で、川崎厚生大臣に
インタビューの申し込みをするために、総務課へ取材申請を
送りました。
しかし2週間、3週間が待っても返事が来ないので、担当者に
問合せをしました。
その時、担当者から、思いがけない答えが返ってきたのです。
「取材のテーマが、二重被爆とありましたが、広島でも、長崎
でも、被爆者の支援はお一人1回ですから、二度被爆したからと
いって、支援が2倍になるわけがありませんよ。大体、文化庁は
国の機関なのに、なぜ助成金を出すと決めたんでしょうね。
大臣は忙しいので、この件でインタビューはできません」と、
ケンもホロロでしたが、驚いたのはそこではありません。
”厚生官僚はそんな風に思考回路ができているんだ、と。
私は被爆者への支援を2倍にと、一言も言っていないのに・・。
そして20年が経過し、2年前から厚生労働省 健康・生活局の
担当者と、カネミ油症被害者救済へ、と向き合っています。
7月5日に提出した「要請書」(10回目)の回答がまだ届きません。
お盆明けまでに届かないとしたら、国会議員と相談し、
議員と共に回答をお聞きする機会を作っていただくことを
考えています。
改めて「要請書」(10回目)を皆さんにご覧いただきたいと
思います。
カネミ油症被害者救済プロジェクト 稲塚秀孝