~”総括ができない”国・ニッポン~
昨日7月24日、特別国会が閉幕した。
自民・維新政権の国会再延長の”恫喝”を受けて、参議院
野党はあっけなく”妥協”してしまった。
そして本会議で「副首都法案」なる”まがい物”は、
無所属4名の内、3名が賛成に回り、
123対121で可決されたのである。
最終的にこのような”出来レース”を見せられて、うんざりと
言うしかない。そして今後も変わりなく国会は進むのだろう。
ずっとそういう歴史を綴ってきたし、決して”総括ができない”
国・ニッポンはどこまでも漂流してゆくのだろう。
そんな昨日、中東からのニュースで、日本赤軍岡本公三氏
(78歳)の死去が伝えられた。かつてイスラエルで服役した
時に厳しい”拷問”を受けたことで、体力が消耗したらしい。
最近の映像を見ても、その衰えぶりがうかがわれる。
いまから57年前、1969年9月5日、東京・日比谷公園野外音楽
堂には、1万人ほどの学生と労働者が集まり、
「全国全共闘結成集会」が開かれた。
各党派の代表者の演説の中、客席右手に、忽然と現れたのが
「日本赤軍」を名乗る一群だった。
噂に聞いていたのだが、”とうとう現れたのか”とその時、
客席後方にいた私は強く感じたのを覚えている。
その後、「あさま山荘事件」「リンチ殺人事件」など、国民の支持を
失うような”負の連鎖”が続いたまま、”新左翼運動”は衰退してゆく。
しかし”あの闘いは何だったのか?!”について、きちっとした”総括”
が行われないまま、あの時代を生きた同世代と年上世代は、自らの
胸に刻んだままだ。ここでいう”総括”とは、自分の所業を反省する
ことではなく、その時代に痕跡を残した自分を新たに捉えなおす
ことなのだと私は思う。
もちろん”できなかったこと”に対して、後悔があるのは事実なのだが、
だからこそ、一例として「カネミ油症被害者救済」においても、
後悔をしてはいけないのだと痛切に感じる。
岡本公三さんの死去の報に接し、思い出すことが多かった。
カネミ油症被害者救済プロジェクト 稲塚秀孝