すべてのカネミ油症被害者救済へ(185)8月3日

 ~「憲法を武器として」上映会で~

昨日東京・文京区民センターで、「憲法を武器として~
恵庭事件 知られざる50年目真実」
上映会を行った。
猛暑日に集まった来場者は3名。
初めてご覧になる男性1名と何度目かの女性2名。
いずれも70代の方々である。
因みに文京上映会は通算79回目となった。
映画が完成した2017年9月から、ほぼ毎月上映会を開いて
きた、その積み重ねがあるのだ。

上映後に小一時間”アフタートーク”を行いました。

「憲法を武器として」は、1963年9月から1967年3月まで、
札幌地裁で行われた”恵庭裁判”40回の公判と、判決までの
法廷劇が中心となっている。当時被告の野崎兄弟を支援した
「北海道平和委員会」に保存されていた膨大な”公判記録”が
原資料として構成されたのだ。
①公判の様子をテープレコーダーで収録した
 (裁判官の許可を得て実行された)
②被告も検事や弁護士と同等に、挙手をして自由に発言していた
映画完成当初から、②について、”違和感”を覚える観客は多く、
被告も公判に積極的に参加しているのは”演出”ですか?という
質問が多かった。

今回も同じ質問が飛んだ。
「私も最近裁判を傍聴しているけど、当時は本当にこんな感じ
だったのですか?」と。

私は”公判記録”に書かれた内容を忠実に再現したことと、
当時の裁判所の様子を、そのつど丁寧に伝えることにしている。

実は「母と子の絆~カネミ油症の真実」を製作した時にも、
1987年最高裁で”和解”(実態は被害者=原告が取り下げた)
により、あっけなく終わるまでの裁判記録を弁護団に求めた
のだが、何と、何と、すでに裁判記録は”廃棄”してしまった
と聞かされた。
私はその時「カネミ油症事件」最大の”闇”だと感じた。

それでも ある新聞社の支局に残されていた福岡地裁、高裁
の記録(ごく一部)を読むことができたが、全容に迫ること
はできず、断念するしかなかった。

”公文書”の取扱いがずさんなのは、官民に共通した、この国の
”悪弊”に違いない。つまり、残したくない”記録”があり、残す
ことを阻んできた”歴史”があるのだ。
1945年8月15日の敗戦以降、全国各地で、米軍占領前に、
膨大な資料を焼却していた事実は、その”証左”である。

「憲法を武器として」を観た男性はアンケート用紙に、
「恵庭事件のことが分かった気がする」と書いてくれた。

製作者として嬉しく思うのは当然である。
次回「憲法を武器として」第80回文京上映会は、9月19日(土)
14時から、文京区民センター3C会議室である。

カネミ油症被害者救済プロジェクト   稲塚秀孝

コメントを残す