今日は14時から博多で、「油症対策委員会」が開催中です。会議前に福岡の各メディアの方々に送った案内(リリース)です。
カネミ油症 被害者基準(2024年版)
投稿者: inatsuka
「へその緒プロジェクト」通信㊼
今週21日(金)に九大油症治療班会議、22日(土)三者協議が開かれます。
それぞれ何か進展があるのか?新たな展開がみられるのか?今のところ
皆目予測がつきません。
そして今日6月18日午後、福岡県庁食品衛生課を訪ね、カネミ油症申請書面を
提出しました。3年前から数回取材してきた、福岡県久留米市に住む高山美子
(たかやま よしこ)さんが、52歳で亡くなった故 高山哲夫さん(死因は
多発性骨髄腫)がカネミ油症だったことを訴え、私が代理人として、県庁の担当者に
説明し、提出しました。
担当者は誠実に話を聞いてくれて、「検討します」と発言しました。
2月に長崎県庁に提出してから、2例目となります。
これまで毎年開かれる一斉健診の際の、ダイオキシン類の血中濃度でしか、認定・未認定の
区別がされなかったことに、”風穴“を開けようと思います。
申請は各自治体ごとでできるので、今後他の自治体にお住いの未認定と言われる方々の
救済につながればと思います。結果は1~2か月後でしょうか?待ちたいと思います。
映画監督 稲塚秀孝
「へその緒プロジェクト通信」㊻
~10日後に向けて準備します~
「へその緒プロジェクト通信」㊹でご案内したように、
今、「新・カネミ油症被害者基準」案を作成・検討中です。
国(厚生労働省)は、原爆被爆者、水俣病を始め、数々の公害などの
被害者を、認定、未認定で区別して、分断統治のやり方を貫き、
被害者の側は、有効な抵抗手段を持たぬまま、歴史は重ねられてきました。
「へその緒プロジェクト」で提起したのは、カネミ油症被害者を認定者、
未認定者に”峻別”することなく、すべての被害者に救済を求めることに
間違いありません。そう確信しています。
そのため、国や追随する国立大学、医療機関、支援者の方々に、
「新・カネミ被害者基準」(2024年版)を提起したいと思います。
なぜなら、今世間に流布されている「認定基準」なるものは、法的な根拠の
ないものを、信じ込まされているからです。
また五島市在住の岩村定子さんに続いて、個人として「カネミ油症」
の証しを求める申請を行う準備を進めています。
これまでも、これからもカネミ油症被害者の方々の”思い“を伺って参ります。
簡単には言えませんが、「あきらめずに」行動してゆきたいと思います。
そしてその”思い”を、映画「母と子の絆~カネミ油症の真実」において、
汲み取れるように、反映できるように、したいと思います。
映画監督 稲塚秀孝
「へその緒プロジェクト」通信㊺
~自主上映会を開きましょう~
昨日(6月4日)、名古屋にてカネミ油症被害者の方のお話を取材しました。
私と同じ昭和25年生まれの女性です。17歳の時、カネミ油を家族5人で口にしています。
長崎県は海が素敵です。海の恵みの魚を天ぷらにするのは基本だったと言います。
23歳の時から5人のお子さんを産み、最初の3人は毎年生まれました。
カネミ油症の症状は、長女に激しく現れました。後年「同居家族認定」で
カネミ被害者になったのは、本人だけ。毎年国の一斉検診を受けても、お子さんたちは
未認定のまま、です。後日長女のYさんとのへその緒をお預かりし、民間調査会社に
持ち込みます。サクサクと明るい語り口ですが、ふと辛かった過去を思い出して、
涙されていました。
「母と子の絆~カネミ油症の真実」は全国の劇場で10月から順次公開しますが、
自主上映会も開始します。かつて2011年に「チェルノブイリハート」を配給した時は、
全国250か所で上映会を開催できました。新聞記事を見た各地の主婦の方から携帯電話に
連絡が来ました。「上映会を開くのは初めてですが、上映会までの進め方を教えて
ください。お友達に連絡します」という内容でした。
次回、自主上映会の案内を掲載いたします。
映画監督 稲塚秀孝
「へその緒プロジェクト」通信㊹
~新・カネミ油症基準 宣言へ~
すでに公表された長崎県庁の文書「故人のカネミ油症認定申請について」
を読み解くことで、「へその緒プロジェクト」としては、カネミ油症の基準を
新たに示したいと考えました。
2月16日と3月11日(追加)の長崎県への申請に対し、文書では、
カネミ油症の”認定基準“を改めて明らかにしている。これは長崎県の発表だが、国=厚生労働省とその支配下にある九州大学油症治療班の見解であると思われる。
カネミ油症患者の認定基準は、
1.毎年行われる一斉検診の結果(ダイオキシン類の血中濃度、50%と言われて
いる)によるもの
2.同居家族認定
これは認定希望者がカネミ油症事件当時(1968年)、同居してカネミ油を口に
していたこと
の2点とされていることであるが、これは日本の法律に明文化されておらず、
あくまで国=厚生労働省(九州大学油症治療班を含む)グループの”見解“に過ぎない。
ここはきちんと押さえておきたい。従って、今回「へその緒プロジェクト」として、
このあいまいな”認定基準“にアンチする意味から「新・カネミ油症基準」宣言を表そうと
考えているわけです。
カネミ油症事件発生から56年が経過し、特に次世代(カネミ油を口にした父親及び母親から
生まれたお子さん、お孫さん)の救済を進めるために「へその緒」の重要性を訴えてきました。
体内のダイオキシン類の数値が、年数の経過とともに減少しているのは否めない事実で、
保存されている「へその緒」の意味に焦点を向けたいと考えています。
6月に入り、6月21日は九大油症治療班主導の「油症対策委員会」、22日には三者協議
(国=厚生労働省、農林水産省、被害者全国連絡会、カネミ倉庫)を前に、アピール
いたします。現在、研究者、医師の皆さんと検討を重ねている「新・カネミ油症基準」宣言に
ご期待ください。
映画監督 稲塚秀孝
「へその緒プロジェクト」通信㊸
プロジェクト誕生から半年。
いよいよここからだ、と思います。
昨年12月に立ち上げた「へその緒プロジェクト」はこの5月で
半年が経過しました。本年1月半ば、福岡市役所で「へその緒
プロジェクト立ち上げの記者会見を開き、福岡県、長崎県の各
メディアの記者の方々に、「カネミ油症被害者」救済の道筋を
示してきました。全国の研究者、医師の方々に連絡を取り、
様々な助言を受け取って来ました。
6月に入り、「カネミ油症被害者」の方々の実相を明らかにするために、
「へその緒」検査に着手いたします。その検査と検査結果の行方については、
その都度、この場で明らかにしてまいります。
元々福岡県、長崎県に多かった被害者の方々は、地元を離れ、全国に
散りじりになっています。先日20名の方々にお手紙を送りました。
その中で2通が戻ってきました。当方が把握している住所が違っていたの
です。しかしながら声を上げてくださった方もいます。まもなくまとめと
なる取材行脚に出かけたいと思います。
映画監督 稲塚秀孝
「へその緒プロジェクト」通信㊷
~長崎県からの”伝言“③~
5月18日長崎県五島市奈留町。
カネミ油症被害者岩村定子さんのお宅で、長崎県庁の職員が
差し出した文書が、”これ”です。

私は岩村さんの代理人を務めさせていただきました。
これまで記録映画を撮影してきた私は、取材対象者の方々と”一定の距離“を
おいて取材してきました。私が決めた”不文律”でした。それは、映画をご覧になる
観客の皆さんに「取材する側と取材される側」との間に、何らかの”利害“の気持ち
を感じないように考え、見ていただきたいという思いからでした。
しかし今回は“禁”を破りました。50年前に長男を重篤な病気で亡くし、
満足に抱いてあげられないまま生後4か月で逝ってしまった”無念“を今も後悔
なさっていることを何度も撮影させていただき、「長男がカネミ油症だった」ことの
証(あかし)が欲しい、長男の墓前に伝えたいという思いを聞いて、今年2月に
研究者の方々のご意見をいただき、長崎県庁に申請を出しました。
書面に書かれているのは、(カネミ油症)の認定はできない。
その理由は、カネミ油症の認定は2つのみ。
検診結果(ダイオキシン類の血中濃度)に基づかない
同居家族(1968年12月31日までに生まれた)であること
いずれもカネミ油症事件から5年後に生まれた長男には該当しません。
どだい、検診すら受けられないまま、亡くなっているのですから。
でもここに、いくつかの“疑義”があります。
それについては次回通信㊸で延べたいと思います。
映画監督 稲塚秀孝
「へその緒プロジェクト」通信㊶
~長崎県からの“伝言“②~
5月18日長崎県五島市奈留町。
カネミ油症被害者岩村定子さんのお宅に、長崎県庁の職員2名が
訪ねています。私(代理人)と長崎新聞内野記者が立ち会っています。
岩村さんの“思い”が述べられたあと、長崎県の見解が知らされました。
岩村満広さん(1973年12月、生後4か月で死亡)は、カネミ被害者として
認定に至りませんでした。
その理由は2点。
検診結果(ダイオキシン類の血中濃度)に基づかない
同居家族(1968年時点でカネミ油を口にした)ではない
世の中に「杓子定規」という言葉があります。
満広さんは、確かに上記2点に該当しません。
検診を受けるまでもなく死亡していますし、1968年時点にはこの世に
生を受けていません。
しかしながら、「口唇口蓋裂」「肛門がない=生後人工肛門となる」「チアノーゼ」
「心臓病」など、生まれながらにして、」ありとあらゆる重篤な状態でした。
満広さんが生まれる5年前、定子さんが「カネミ油」を口にしています。
古江増隆九州大学油症治療班(当時)、元班長は、定子さんに
「カネミ油を食して10年以内に生まれたお子さんに現れた障害は、
カネミ油症由来と考えられる」と話しているのです。
古江さんは現在、九大を停年退職し、個人医院を博多にて開業しています。
2か月前、私は古江さん宛に、お手紙を送り、岩村定子さんに話したことは
事実でしょうか?と問い尋ねました。
古江さんからすぐにハガキが届き、「私は在職当時のことは一切答えられません」
と書かれていました。
カネミ油症被害者(患者)と向き合う医師として、誠意はあるのでしょうか?
医師、教師、弁護士(法職者)の皆さんの日頃の献身とご努力に、私はこれまで
リスペクトして来ました。
しかし、こと「カネミ油症事件」においては、大いに失望し、残念でなりません。
私のモットーは「ドキュメンタリーは告発である」です。
ぜひ「母と子の絆~~カネミ油症の真実」をご覧いただきたいと思います。(つづく)
映画監督 稲塚秀孝
「へその緒プロジェクト」通信㊵
~長崎県からの“伝言”①~
5月18日朝、長崎港からジェットフォイルで五島市福江港に
向かいました。7時40分発、1時間30分の船旅。快晴、海は静かで穏やかでした。
同じ船に長崎県食品衛生課(カネミ油症担当)の職員が2人乗船
していました。まあ”呉越同舟“でしょうか?この時点では、まだ報告書の中身は知りません。
福江港で乗り継ぐ際、長崎新聞五島支局長(この4月から赴任)の
内野記者と初面会。奈留行きの出航までの20分間ほどで、
「へその緒プロジェクト」について説明します。
福江→奈留は45分。目指す岩村定子さんのお宅に到着したのは、
10時25分でした。岩村さんは闘病中の身で、入退院を繰り返していますが、
この日気丈にふるまいます。県の職員へ
「わざわざお越しいただいて・・」
と深く頭を下げました。
まず岩村さんから、今回の長崎県への申請について、その”思い“を
語り始めました。岩村さんが「カネミ油症」の原因となる「カネミライスオイル」を
口にしたのは、1968年(昭和43年)、19歳の時でした。
おじさんが経営する理美容室で働き、家族、従業員らと食卓を共にしました。
奈留町(2000年代に五島市に合併)は当時6000人ほど。
漁業が中心で、豊富な海の幸は、揚げたり、すり身で食べたり、絶えず
油を使っていたといいます。
「カネミ油症」では吹き出物が大量に出たり、体調不良になることが
多かったのです。5年後、長男の満広さん誕生。
しかしすぐにご主人が満広さんを福江の「五島中央病院」に運びました。
生まれながら、「口唇口蓋裂」他の重篤な症状がいくつも見られ、集中治療室
に収容されたのです。
岩村さんは、満広さんのことをゆっくり、語り始めました。
長崎県の職員のお二人は、緊張しつつ岩村さんのお話を聞いています。
(つづく)
映画監督 稲塚秀孝
「へその緒プロジェクト」通信㊴
~ここから、新たな一歩たらん、と思う~
5月18日(土)10時30分から、岩村定子さん宅で、長崎県庁生活衛生課の
職員2名が、岩村満広さんー故人の「カネミ油症」申請に対する返事をいたしました。
結論―患者認定にならない
理由―①検診を満広さんが受けていない(生後4か月で死亡なので、土台無理)
②事件当時(1968年)に同居していない(同居家族認定ではない)
というものでした。
また申請時に提出した、2013年のへその緒の数値について、満広さんの出生時の
生涯と検査で得た数値の関連性が認められない、という九大の見解に今も変更はない、
とのことでした。 国(厚生労働省)→九大油症班の認定基準に当てはまらず、
「へその緒」数値について、顧みない姿勢が明らかであると理解いたしました。
この書面内容を「へその緒プロジェクト」代表世話人の宮田秀明(摂南大学名誉教授)と
話し合って、「へその緒」におけるダイオキシン類の毒性移行が明らか(母から子へ40%以上)
となっている今、新たに「へその緒」検査に踏み込もうと話しました。
まず岩村定子さんの次男(1975年生)と長女(1977年生)のお二人の「へその緒」で
取り組む準備を開始するとともに、新たなステージに進む「記者会見」(記者発表)を
6月半ばに行う準備に入ります。5月21日宮田先生と大阪で打合せを行ったうえで、
改めて通信㊵をさせていただきたいと思います。
映画監督 稲塚秀孝