
映画「母と子の絆」完成


~最後に、予告編です~
14日に北海道苫小牧市に移動し、今日15日は「母と子の絆~
カネミ油症の真実」の予告編を作りました。
明日16日に音楽の調整を行い、1分半が完成です。
本編は数か所の修正が見つかり、博多の伊野さんに連絡して
直してもらいます。
明日中には、完パケ、サンプル版とも、DCP、DVDコピーへ
移行します。
今後は「カネミ油症」上映通信に代わります。
映画は製作後のここからが本番。どれだけの方々に観てもらえ
るのか?全国の劇場の方々と交渉します。
映画監督 稲塚秀孝
~ラストコメントの悩み~
今回の「母と子の絆~カネミ油症の真実」は13本目の作品。
2006年「二重被爆」から始まった映画製作の旅路は18年で
13本目となったのです。
母親の気持ちになれば、多産系で13人目の”子“を産み落とすのは、
振り返っても、山あり谷ありでした。誇るべきは、“頼まれ仕事”はないこと。
自分で見つけ、選び、調べてこぎつけた結果です。もちろん様々な
方々の助言をいただきましたが・・・。
そして映画の最後の「ラストコメント」にはひときわ思いが募ります。
仲代達矢さんに読んでいただいた「書くことの重さ」(2013)、
「憲法を武器として」(2017)「ああ栄冠は君に輝く」(2018)は格別です。
映画のまとめでありながら、映画をご覧いただいた不特定多数の方々への
メッセージには、今を生きる、これからを生きる皆さんを思う内容でしたから。
今回はエンディングロールの中で、女優、円地晶子さんに読んでいただいた
もので、収録はしたのですが、そのまま映画の中で使おうかどうか?
最後まで、実は昨日まで悩んだ経緯があります。
その内容を、映画を離れて、皆さんにご覧いただきたいと思います。
「自分がカネミ油症かどうかもわからないまま、体調に不安を抱えている
人たち。全国には、名乗り出る“すべ”を持たない、潜在的なカネミ油症被害者が
数万人にのぼるのではないかと考えられています。
もしも半世紀前、カネミ油症事件が起こった時に『食品衛生法』に基づいて、
食中毒として適切な処置がなされていたら、これほど悲惨な歴史をたどることは
なかったのではないでしょうか。
今こそこの映画をご覧いただいたみなさんに考えていただきたいと思います。
ずうっと無策だった国、厚生労働省、九州大学を始めとする医師、研究者、
そして弁護団、支援してこられた方々、すべてに“応分の責任”があったのでは
ないでしょうか。
事件発生から56年が経過した今からでも遅くはありなせん。
すべてのカネミ油症被害者の方々の救済のために、お一人お一人の”勇気“と”力“が
いま問われているのです」
2006年長崎セントラル劇場の階段で「監督、カネミ油症事件はご存じですか?」
と声をかけてくれた女性がいました。
それから18年、取材を始めてから4年、85分58秒の映画本編で描き切れなかった
ことは数々ありますが、このラストコメントが、私が今皆さんにお伝えしたい”思い”です。
映画監督 稲塚秀孝
~ここからが本番だ~
日付が変わって、博多駅前のカプセルホテルに到着したのが、
午前2時過ぎ、そのまま倒れこむように眠って、起きたのが、
午前7時。途中トイレにも立たず、熟睡しました。
さわやかな目覚めでした。
大浴場で湯船につかり、ここからギアチェンジします。
今日からは上映活動本番なのです。
大阪の知人(元朝日放送)に連絡して、大阪での上映会の依頼、
各地の朝日放送系の放送局員、OBの紹介をお願いしました。
今回映像素材は九州朝日放送(KBC)からお借りします。
10年前から「テレメンタリー」(テレビ朝日系の30分ドキュメンタリー枠)
のKBCの担当者の力を借りています。
3年前からテレビ番組は作っていませんが、いざとなれば放送局に
飛び込むことは可能です。9月10日福岡試写会を前に、9月8日に
五島市奈留での上映会を依頼しました。
8月末までに、全国の劇場15館、上映会50か所を目標に走ります。
映画監督 稲塚秀孝
~遂に完成した瞬間~
先程日付を渡ったころに、エンディングロールを入れ終えて、
完パケとなった。
博多での編集開始が7月7日のだから、優に1カ月を越えた。実質編集日
は、18日だった。
なかなか編集の“覚悟”がつかず、編集担当の伊野さんに心配をかけた。
明日からは、上映活動や、ポスター・チラシの製作に力を注ぎたい、
と思う。今回は疲れた。
では引き続きよろしくお願いいたします。
映画監督 稲塚秀孝
~「あと一息だ!」から続く日々~
ラストスパートの2日間の初日。
昨日8月11日は、出来上がった音声ミックスを張り付けて、
映像の作業。空白の部分をワンピースずつ受けて行く。
冒頭にこの映画の“挑戦”のメッセージを置いた。
カネミ油症事件から半世紀、56年後の映画製作の目的、使命は
何か、を問うことにした。
それは事件発生の1968年に立ち返り、当時の“空気感”を感じて
貰いたいということ。当時の感覚を呼び起こして、振り返り、
今伝えられることは何か?を必死に追い求めることではないか?と
訴えた。
20秒のメッセージ、そして私自身が問いかけるところから始める
のである。ご覧いただく方々にどう伝わるのか?
「熱量のチカラ」を信じたい、と思います。
さて映像はほぼ完成。今日は有り余る情報を整理するために、字幕入れ
に取り組む、熱い、暑い一日になりそうだ。
今日は8時スタートに決めた。
映画監督 稲塚秀孝
~また博多へ向かう~
8月10日(土)お盆前の三連休の初日。
新宿から新宿湘南ラインと東海道線を乗り継ぎ、名古屋から「ひかり」の
自由席に飛ぶ乗った。
昨日はナレーション収録後に音声ミックスを行い、終了は27時。
赤坂のスタジオから調布の自宅に戻り、シャワーを浴び、資料を整え直し、
朝食と洗濯を終えて、新宿発11時の新宿湘南ライン、小田原から東海道線
と乗り継いだ。
在来線では本日中に博多に到着しないので、新幹線も利用する。
ナレーションも音楽も入り、音響は完成。明日と明後日は、映像の完成を目指す
ことになる。
まもなく夕方の19時。このメールを打っている左側は、瀬戸内の海に差し掛かっている。
夕陽は前方に見える。「真っ赤な太陽」である。
あと15分位だろうか?瀬戸内海に沈む夕陽を楽しみたい。
映画監督 稲塚秀孝
~ようやく“白”ができた~
7月7日から博多ATC社内で始まった「カネミ油症の真実」の
編集は、途中行ったり来たりしながら、1カ月が経過して、
今日”白”素材ができた。これから音処理(MA8月9日)、
字幕入れなどで完パケ「完全パッケージ」となる。
尺は85分31秒。当初の想定内に決まった。
今日(8月7日)に、ナレーション原稿を書き、明日には語り手に送る。
本来は今日までに映像も完成させたかったのだが、「編集の覚悟」が定まらず、
ここまで延びてしまった。
カネミ油症は複雑で、難しい内容だと、改めて感じた。
カネミ油症事件発生(1968年)から56年。
今ご覧いただく、意味のある作品を目指したい。
映画監督 稲塚秀孝
~悩んではいられない~
昨日8月3日から博多にて、最終編集開始。
昨日は編集の流れを見直しながら、約50分まで繋いだ。
編集担当の”相棒“も積極的に声をかけてくれる。
7月7日から始まった編集も、途中取材やナレーション収録で抜けつつも、
15日目を迎えた。呼吸もあってきているのを感じる。
「こうじゃないかな?」「こうだよね!」と声を掛け合うのは、杵をふるい
合いの手を掛け合いながらの“餅つき”にも似ている。
私なりに”編集の手法=流儀“もある。
テレビ番組とドキュメンタリー映画製作で培ってきた“思い”でもある。
今回自分に課した編集テーマは、“ずっしりと重い内容を軽やかに観ていただく”
ではないだろうか?
そこで1週間前までに並べた粗構成を、変えてみた。
カメラの前で自らの「カネミ油症体験」を語ってくれた女性たちを、次々と並べて
みることにした。母がお子さんを思う強く深い気持ち、決意、後悔、悔しさ、そして
感じる“不条理”の感覚、怒り・・ないまぜの、どこにぶつけたらいいのか、という
もどかしさを伝えられたらと思っています。
映画監督 稲塚秀孝
~覚悟は決まった!~
明日から博多へ向かいます。手元にある資料を読みながら、
最終編集に臨む“覚悟”を決めようと考えています。
今日は昼に、霞が関へ出かけ、厚生労働省前で外観撮影をしました。
昼ごはん時ですから、職員の方々が表に出てきます。
勿論知人も友人もいません。
皆さん、”役に立つ仕事”をしていると考えているに違いありません。
でも、どうでしょうか?
「母と子の絆~カネミ油症の真実」では、“応分の責任”を問うています。
56年経過して、いまだにカネミ油症被害者を救済できていないのか?
そこには大きな”闇“と”謎”があるのです。
国=厚生労働省、原因企業のカネミ倉庫、九州大学を始めとする医師、研究者
そして有効な手を打てなかった支援者の方々、皆さんに“応分の責任がある”と
問いているのです。
しかし、まだまだこれからです。
最後に映画をご覧になる皆さんへ。
まだまだこれからできることがあると思います。
〝勇気と力“を出してください、と。
映画監督 稲塚秀孝