「へその緒プロジェクト」通信㉒

~母と子の絆―へその緒の意味を問う~
 先週末から、「へその緒」の研究に詳しい医師、研究者の方々に
質問を送らせていただいている。

 お聞きしたいのは2点。

1. カネミ油症被害者の母親からへその緒を通じて、ダイオキシン類の
  毒性がどの位(何%)胎児(新生児)に移行するのか?

2. 1の結果を踏まえて、カネミ油症被害者の血中濃度(ダイオキシン類)検査の
検診結果があれば、へその緒を改めて検査しなくても、お子さんに毒性の
影響があったことを明らかにし、認定基準(現在は本人の血中濃度のみ)の
見直しを進められると思いますか?

 週が明けて、今日(26日)は2名の返信があり、明日以降も期待できると思う。
実はこの質問に“妥当性”があるのか?も含めて、皆さんとのやり取りを通して、
気付くことがあるかもしれないと思っています。

 「へその緒プロジェクト」を前に進めるために、このHPをご覧いただいている
皆さんからのご意見をお聞きしたいと考えています。
いまこそカネミ油症事件の「認定の壁に一石」を投じる理由が明らかになると
思えるのです。
                       映画監督  稲塚秀孝

「へその緒プロジェクト」通信㉑

 さらに、「へその緒」の役割と大切さを問う

 2月24日東京新聞「こちら特報部」に「へその緒プロジェクト」の
ことが掲載されました。(pdf記事⇒こちら

 見出しには カネミ油症(黒の”ザブトン“)「認定の壁」に一石 と
頼みの綱は「へその緒」 置き去りになる2世、3世 とありました。
今更ながら、新聞社編集部、整理部の力量に唸りました。
まさしく、”その通り”です。

 カネミ油症の認定者は約2000人、推定被害者は数万人います。
なぜ同じ毒の油を口にしたのに、またその母親から「へその緒」を通じて、
子に毒が移行しているのに、認定、未認定に分けられるのか?
心から“不条理”、そして日本における”棄民“の現状に怒りを覚えます。
確かに、頼みの綱は「へその緒」です。

 これから映画「母と子の絆~カネミ油症の真実」の製作と共に
「へその緒プロジェクト」の推進に邁進してまいります。

 いま、ご協力いただける医師、研究者、ジャーナリストの方々などと
緊密な連絡を取り続けています。さらに熱量を増やしつつ、「ロードマップ」
の実現を目指します。今後ともよろしくお願いいたします。

    映画監督  稲塚秀孝

「へその緒プロジェクト」通信⑳

 これが「へその緒プロジェクト」のロードマップだ!
  ~今後粛々と実行に取り組みます~

 試行錯誤、若干の紆余曲折はありましたが、「ロードマップ」第1弾を
ご覧いただきたいと思います。

【理念・目的】

 カネミ油症事件発生(1968年)から56年が経過。
当時ダイオキシン類が混じったカネミライスオイルを口にした人たちから
その子ども、孫まで被害が広がっており、「カネミ油症事件は終わっていない」
ことを国内外にアピールしていきたい、と考えています。

 「へその緒プロジェクト」では、そもそも毒の油を口にした母親から胎盤を
通して、胎児(新生児)にダイオキシン類の毒性が移行した事実を実証します。

 そして現行の認定、未認定に係わらず、すべてのカネミ油症被害者、全員を
救済することを最終目的と致します。

【ロードマップ】第1期(2024年3月~6月)

1.「へその緒」を提供できるカネミ油症被害者のリスト作成
  目標20名

2.「カネミ油症被害者」のダイオキシン類検診結果の調査(1970年以降)
 検診結果から、母親のダイオキシン類の血中濃度の調査を行う。
 母親の数値から子に移行する数値を明確にすることで、お子さんがカネミ油症被害者で
 あることを明らかにする。
   目標30名

3.「カネミ油症被害者」の方々にアンケート調査を行う。
 被害者とお子さんの生年月日、被害状況を把握する

4.メディアへのアプロ―チ
 3月末に「へその緒プロジェクト」宣言を行う
 新聞、ネット媒体、放送でのアピールを行う

「へその緒プロジェクト」第1期では、以上の内容を達成し、次期に繋ぐ。

        映画監督    稲塚秀孝

「へその緒プロジェクト」通信⑲

 「へその緒プロジェクト」のロードマップ
  ~第1弾、次回の通信で報告~

 先週末、博多から北海道へ移動し、引き続きご協力いただいている
医師・研究者の方と連絡を取っています。

 「へその緒プロジェクト」の今後をどう繰り広げて行くか?
その「ロードマップ」は次回の通信⑳でご紹介したいと思います。

 「日本内分泌攪乱物質学会」の鯉淵典之(群馬大学大学教授)会長から、
アドバイスをいただきました。また「この先生に連絡してみて・・」と
ご紹介いただきました。

 また「日本毒性学会」へのアプローチの道を考えています。
そして3月・4月は、とても重要になりました。

 九州、博多と長崎県五島での継続取材を決めました。
映画「母と子の絆~カネミ油症の真実」と「へその緒プロジェクト」に
取って、大きく展開できるかどうかの”分水嶺“に思えます。

 本日、苫小牧市において、藤原寿和プロデューサーと打合せを行い、
方向性を決めることができました。
さあ、発信の前の準備は整いつつあります。
     映画監督  稲塚秀孝

「へその緒プロジェクト」通信⑱

故 満広さんの”無念“を叶えたい
~母の深い思いを届けたい~

 2年前に長崎県五島市奈留町に住む岩村定子さんを訪ね、お話を伺いました。
その時、50年前に亡くなった長男、満広さんと繋いだ「へその緒」を見せて
いただきました。

「私がカネミ油を食べたために、あの子を健康に産んであげられなかった。
今も辛くて悲しいです。わずか4カ月ですよ。ずっと入院していたので、あの子を
抱くことができたのは、数えるだけでした。せめてカネミ油症によって、あなたが
産まれてきたのだということを証明してもらい、墓前に報告したい」と話してください
ました。

 その後、数回お訪ねして、ようやく今日、満広さんがカネミ油症であったと、
認めてください、と長崎県庁に申請に行きました。ようやくの一歩だと思います。
長崎県庁生活衛生課の主任主事の方が誠実にご対応いただき、嬉しかったです。

 今後申請書は九州大学油症治療センターに送られ、返事を待つことになります。
今後の展開を待ちたいと思います。
                       映画監督  稲塚秀孝

(追記)長崎新聞で本件に関する報道がなされました(2/17)
   オライン記事:五島の母 亡き子のカネミ油症認定を長崎県に申請 50年の思い悩み
   リアル新聞記事:亡きわが子の認定申請 五島の母岩村さん 50年思い悩み

「へその緒プロジェクト」通信⑰

 カネミ油を口にした母親から10年以内
 に産まれた子にはダイオキシン被害がある!


 長崎県五島列島、奈留島に住む岩村定子さんから聞いた話。
それは九州大学油症治療研究班の班長(当時)の言葉である。
それは「カネミ油を口にした母親から10年以内に産まれた
子にはダイオキシン被害がある」と。

 岩村さんがカネミ油を口にしたのは、1968年。
1973年に第一子、2年後に第二子、その2年後に第三子、
その間9年である。第一子は生後4カ月で死亡。
口蓋口唇裂、肛門異常、心臓病などが重なった。

 今日九州大学カネミ治療センターの資料室で、「福岡医学雑誌」の
バックナンバーを見比べてみた。当該班長の言葉は見つからなかった。

 そして2009年以来、「へその緒」研究がなされていないことも明らかに
なった。そもそもカネミ油症事件が世の中に伝わり、「黒い赤ちゃん」が
産まれていた1970年頃、母親から子に毒性が移行していないか?
想像力が働かなかったのだろうか?「へその緒」を調べてみようとは
ならなかったのか?不思議でならない。医師も研究者も原因究明と治療法を
捜そうと思ったに違いない。

 昨年12月から「へその緒プロジェクト」が開始した。事件発生から56年が
経過している。このプロジェクトからの今後提案を世に送り出すことで、
失われた”時間“を少しでも取り戻したい。

         映画監督 稲塚秀孝

「へその緒プロジェクト通信」⑯

  なぜ空白の15年なのか?
 ~今、もっと、情報が欲しい~

 昨日お話を伺った群馬大学鯉淵典之教授のお話を振り返り
ながら、今日は福岡県小倉に移動しています。

 まず2年前の火災から復興した「小倉昭和館」を訪ねました。
これまで数本の映画上映をしていただいており、今回の
「母と子の絆~カネミ油症の真実」が完成した時は上映して
いただきたいとお願いします。

 館主は「何しろここ(北九州小倉)は、加害者(カネミ倉庫)と
被害者が住む街ですから、皆さんの思いは複雑ですね」と。
その通りである。昭和館から海沿いにあるカネミ倉庫まで、徒歩
20分位だろうか?倉庫前に何百日も抗議の座り込みが続いた
歴史がある。故に「いまカネミ油脂事件を考え、被害者の救済に
向かうには?」が大事なのだと思う。

 繰り返しになるが、母から胎盤を通して子に毒性が移行したことは、
鯉淵教授(日本内分泌攪乱物質�学会長)の言を待つまでもなく
明らかなのははっきりした。

 では2009年、「福岡医学雑誌」での2つの報告から15年間、空白の期間が
できたのは何故なのか?今後当事者の方々からの情報を得たい、と思う。
それは「へその緒プロジェクト」のロードマップの道筋をつけるために、
欠かせないことである。

 「胸突き八寸」に差し掛かって、明日から博多・長﨑で探索を続けようと思う。

            映画監督 稲塚秀孝

「へその緒プロジェクト通信」⑯

  なぜ空白の15年なのか?
 ~今、もっと、情報が欲しい~

 昨日お話を伺った群馬大学鯉淵典之教授のお話を振り返り
ながら、今日は福岡県小倉に移動しています。

 まず2年前の火災から復興した「小倉昭和館」を訪ねました。
これまで数本の映画上映をしていただいており、今回の
「母と子の絆~カネミ油症の真実」が完成した時は上映して
いただきたいとお願いします。

 館主は「何しろここ(北九州小倉)は、加害者(カネミ倉庫)と
被害者が住む街ですから、皆さんの思いは複雑ですね」と。
その通りである。昭和館から海沿いにあるカネミ倉庫まで、徒歩
20分位だろうか?倉庫前に何百日も抗議の座り込みが続いた
歴史がある。故に「いまカネミ油脂事件を考え、被害者の救済に
向かうには?」が大事なのだと思う。

 繰り返しになるが、母から胎盤を通して子に毒性が移行したことは、
鯉淵教授(日本内分泌攪乱物質学会長)の言を待つまでもなく
明らかなのははっきりした。

 では2009年、「福岡医学雑誌」での2つの報告から15年間、空白の期間が
できたのは何故なのか?今後当事者の方々からの情報を得たい、と思う。
それは「へその緒プロジェクト」のロードマップの道筋をつけるために、
欠かせないことである。

 「胸突き八寸」に差し掛かって、明日から博多・長﨑で探索を続けようと思う。

            映画監督 稲塚秀孝

●facebookより(2月12日)

 今晩は。今は故人になられた原田正純医師の『宝子たち 胎児性水俣病に学んだ50年』(弦書房)のご著書をぜひご紹介させてください。
 この本の中に、私のことが書かれているからご紹介したいわけではなく(チョッピリはありますが(笑))、「胎児性カネミ油症病」のことを取り組むのにたいへん参考になることと、この本の中でカネミ油症事件にも触れられて、カネミ油症被害者自主検診調査団団長として長崎県五島市に検診に行っていただいたことについても書かれていることから、ぜひともご紹介したいと思いました。

「へその緒プロジェクト通信」⑮

  1996年に何があったのか?
~「へその緒プロジェクト」推進の壁は何か~

 今日、快晴の東京・調布から湘南新宿ライン→両毛線に乗って、前橋駅下車(約3時間)、
群馬大学に向かいました。

 「日本内分泌攪乱物質学会」鯉淵典之会長に会いました。休日の群馬大学病院ロビー
に現れた鯉淵先生は何故かジャージ姿。あとでわかるのですが、アマチュアランナーで、
明日近隣のマラソン大会に出場するとか。フレンドリーな出会いとなりました。

 「へその緒プロジェクト」の趣旨をご理解いただき、かつてPCB、ダイオキシン研究
に没頭されていたとのことでした。 母体から胎盤を通して、毒性が胎児(新生児)に
移行することは、疑いようはない、と断定しています。しかも母乳(脂肪)による移行
する数値が高いと話しています。ただこうしたことが分かったのは、1996年アメリカ
での報告によると鯉淵先生は言います。カネミ油症事件発生(1968年)からほぼ30年
と言えます。

 今、カネミ油症事件の次世代調査は、まさしく母親から新生児に、ダイオキシン類の
移行があることがキーポイントです。しかし当時新生児におけるダイオキシン類の血中
濃度のデータがあるのかどうか?これから調査そして、国(厚労省)と九州大学湯症
治療研究班に”情報公開“を求めてゆく必要を感じました。

 ここでみなさんにご紹介いたします。映画「母と子の絆~カネミ油症の真実」の映画
製作チラシ「カネミ油症製作チラシ第2弾(改訂版)」をお届けいたします。

 今日鯉淵先生のお話を受けて、「へその緒プロジェクト」の”課題“も見えてきました。
 ここは、やるしかありません。

                             映画監督  稲塚秀孝