「へその緒プロジェクト」通信㊵

 ~長崎県からの“伝言”①~

  5月18日朝、長崎港からジェットフォイルで五島市福江港に
向かいました。7時40分発、1時間30分の船旅。快晴、海は静かで穏やかでした。

 同じ船に長崎県食品衛生課(カネミ油症担当)の職員が2人乗船
していました。まあ”呉越同舟“でしょうか?この時点では、まだ報告書の中身は知りません。

 福江港で乗り継ぐ際、長崎新聞五島支局長(この4月から赴任)の
内野記者と初面会。奈留行きの出航までの20分間ほどで、
「へその緒プロジェクト」について説明します。

 福江→奈留は45分。目指す岩村定子さんのお宅に到着したのは、
10時25分でした。岩村さんは闘病中の身で、入退院を繰り返していますが、
この日気丈にふるまいます。県の職員へ
「わざわざお越しいただいて・・」
と深く頭を下げました。

 まず岩村さんから、今回の長崎県への申請について、その”思い“を
語り始めました。岩村さんが「カネミ油症」の原因となる「カネミライスオイル」を
口にしたのは、1968年(昭和43年)、19歳の時でした。
おじさんが経営する理美容室で働き、家族、従業員らと食卓を共にしました。

 奈留町(2000年代に五島市に合併)は当時6000人ほど。
漁業が中心で、豊富な海の幸は、揚げたり、すり身で食べたり、絶えず
油を使っていたといいます。

「カネミ油症」では吹き出物が大量に出たり、体調不良になることが
多かったのです。5年後、長男の満広さん誕生。
 しかしすぐにご主人が満広さんを福江の「五島中央病院」に運びました。
生まれながら、「口唇口蓋裂」他の重篤な症状がいくつも見られ、集中治療室
に収容されたのです。 

 岩村さんは、満広さんのことをゆっくり、語り始めました。
長崎県の職員のお二人は、緊張しつつ岩村さんのお話を聞いています。
                        (つづく)

       映画監督   稲塚秀孝

「へその緒プロジェクト」通信㊴

~ここから、新たな一歩たらん、と思う~

 5月18日(土)10時30分から、岩村定子さん宅で、長崎県庁生活衛生課の
職員2名が、岩村満広さんー故人の「カネミ油症」申請に対する返事をいたしました。
結論―患者認定にならない
理由―①検診を満広さんが受けていない(生後4か月で死亡なので、土台無理)
    ②事件当時(1968年)に同居していない(同居家族認定ではない)
というものでした。

 また申請時に提出した、2013年のへその緒の数値について、満広さんの出生時の
生涯と検査で得た数値の関連性が認められない、という九大の見解に今も変更はない、
とのことでした。 国(厚生労働省)→九大油症班の認定基準に当てはまらず、
「へその緒」数値について、顧みない姿勢が明らかであると理解いたしました。

 この書面内容を「へその緒プロジェクト」代表世話人の宮田秀明(摂南大学名誉教授)と
話し合って、「へその緒」におけるダイオキシン類の毒性移行が明らか(母から子へ40%以上)
となっている今、新たに「へその緒」検査に踏み込もうと話しました。

 まず岩村定子さんの次男(1975年生)と長女(1977年生)のお二人の「へその緒」で
取り組む準備を開始するとともに、新たなステージに進む「記者会見」(記者発表)を
6月半ばに行う準備に入ります。5月21日宮田先生と大阪で打合せを行ったうえで、
改めて通信㊵をさせていただきたいと思います。

          映画監督  稲塚秀孝

「へその緒プロジェクト」通信㊳

 次のステップへの前夜となった。
今年2月16日、3月11日の2回に渡り、長崎県生活衛生課に
岩村定子さんの亡き長男、満広さん「カネミ油症」申請が受理されました。
1968年に始まった「カネミ油症事件」初の出来事でした。

 これまで一斉検診において、ダイオキシン類の血中濃度を調べ、
一定の数値に達しないと「カネミ油症」と認定されないという、不条理。
個人が申請して突破する道が開けるのか? いよいよ明日午前11時には判明する。
長崎県庁の担当職員2名と私は奈留島へ同行し、岩村さんと共に聞くことになったからだ。

 すでに福岡、長崎の地元紙、全国紙の支社の担当記者のみなさんには、
「明日、一つの指針が出る」と伝えているところです。明日夜には、
この通信でお伝えしたいと思います。
        
                     映画監督  稲塚秀孝

「へその緒プロジェクト」通信㊲

 連休前に通信㊱でお知らせしましたが、近々(来週か?)長崎県庁から岩村定子さん(五島市奈留)に返事が届く見込みとなりました。

 今から51年前、1973年に生後4か月で亡くなった、長男・満広さんが「カネミ油症」による数々の障害を持っていたことの”証明“が得られるか否か、九州大学油症治療班からの報告(返事)が4月半ばに届いたのち、慎重に長崎県としての判断を検討されていたようです。

 私は岩村さんの依頼を受けた代理人として、本年2月、そして3月に2度に渡り、申請書を長崎県庁生活衛生課(カネミ油症の担当部署)に提出いたしました。添付した資料は、昨年2023年に行われた「カネミ油症一斉検診」の結果、福岡県一名、長崎県三名の”認定”されたというものです。

 このように毎年行われる一斉検診で、ダイオキシン類の血中濃度が一定基準以上の数値と認められないと、被害者として認定されないという”高い壁“があります。

 「カネミ油症事件」(1968年)発生から56年が経過し、体内の血中濃度が減少する傾向があることと、「へその緒」を通して次世代には、40%の移行が認められているにもかかわらず認定されないという”現実”があります。長崎県はどのような判断を下すのか?注視したいと思います。

       映画監督 稲塚秀孝

関連情報をリンクします。
カネミ油症 2024年 一斉検診で新たに1人患者認定福岡県で2年ぶり
(2024.3.25)

「へその緒プロジェクト」通信㊱

~カネミ油症被害者申請の行方~

 通信㉗でお伝えした、カネミ油症被害者の申請に
ついて、今日長崎県庁の担当者から”現状報告“を受けました。

 2月と3月(追加分)と2回に分けて申請したのは、
岩村定子さん(長崎県五島市奈留)の長男満広さん
(1973年、生後4か月で死亡)についてでした。

 申請書類は長崎県から九州大学油症治療研究班(福岡市)
に送られ、先日長崎県庁へ”返事“が届いたとのこと。
現在長崎県庁内で、カネミ油症被害者として、認定するか
否かの検証が行われ、5月2週頃に、満広さんの母、定子
さんと、今回申請の代理人を務めた私、稲塚宛に連絡が来る
ことになっています。

 長崎県庁がどのような診定を下すのか?予断を許さない状況
と考えています。

 いずれにしても、被害者個人が自治体に油症被害者であると、
申請したのは初めてであり、今後後に続く方々が出てくることを
願いたいと思います。

 油症被害(1968年)から56年が経過し、明らかに”遅かった!“
感はありますが、今からでも遅くないと考え、前へ進め、被害者の
救済に結び付けたいと思います。
                 映画監督 稲塚秀孝

「へその緒プロジェクト」通信㉟

~ドキュメンタリーは”告発”である~

 この信念のもとで、2006年から映画製作を続けてきました。

 では、何を”告発”するのか?それは取り上げるテーマや取材の中身に
おいて、さまざまと言えると思います。
告発する対象が、国家、企業、国家観、無垢と呼ばれる人々、そして
自分自身。何も決まりはありません。

 今回の「母と子の絆~カネミ油症の真実」においては、大きくとらえると
”組織と個人“ではないかと思います。国=厚生労働省、アカデミズム=九州大学
を頂点とする九州における学問と研究閥、支援するべき人々=例えば弁護士集団、
そして被害者を支援する人々・・・・。カネミ油症事件発生から56年。

 そこに共通するのは“無作為”ということだろうか?
もちろん映画製作をする私たちが”正義”とは言えない。
家族を守るために、あえて家族に「カネミ油症の真実」を伝えない事例に出会った。
“仮払金“返済を国から迫られた時、家族を守るため、守り切れずに、命を落とす”不条理“。
”カオス“のような現実を見つめながら、残り数カ月の製作に取り組みたいと思う。

 今日、映画製作チラシ第3弾が出来上がりました。
皆さんに見てほしいと思います。
                    映画監督    稲塚秀孝

「へその緒プロジェクト」通信㉞

~取材することと取材される側のこと~

 数日前から北海道苫小牧市の事務所で、これまで撮影した映像素材の
整理を行っています。週明けには帰京して、新たな撮影に備えます。
何が撮影できて、何ができていないか?
本格的な編集を始める前に必要なプロセスです。

 もっとカネミ油症被害者の方々の”声“を聴きたいと思います。
しかし、被害者の方々側の事情もあり、立ち止まることもあります。
「自分(カネミ油を口にした)はいいが、子どもたちや孫のことは守らないと
いけない」この場合、”守る“とは、子や孫に「カネミ油症被害」のことを
伝えない、ということを意味しています。

 新聞や雑誌での報道と違いのは、映像作品(テレビ番組や映画等)では、映像
(つまり顔出し)が原則であるが故に、取材する側も取材される側も、公開される
ことに”同意と覚悟“がいるのです。
取材する側の”伝えたい“と取材される側の”伝えて欲しい“という人間としての
信頼の”絆“が必要になるのです。

 コロナ禍を挟んで、ここまで3年余が経過し、今後3カ月の取材は、さらにその
せめぎあいの中で取材を行う時期に差し掛かりました。
何とか”成果“を得ることで、カネミ油症被害者の救済が進むことを目指したい、
そう考えている日々です。
                           映画監督  稲塚秀孝

「へその緒プロジェクト」通信㉝

~「へその緒検査」の可能性!!~

 今朝、映画「母と子の絆~カネミ油症の真実」の
藤原プロデューサーから連絡が入り、昨日関西地方で
打合せの結果、「へその緒検査」の可能性が具体的に
なった、との吉報でした。

 思えば昨年12月に「へその緒プロジェクト」を立ち上げる、
ほぼ一年前から、民間の検査会社数社に打診してきましたが、
見積書まで受け取りながら、OKは出ませんでした。

 今年1月、宮田秀明摂南大学名誉教授らと共に「へその緒
プロジェクト」の記者懇談会を開きました。
カネミ油症被害者の救済には「へその緒検査」が大事という
主張は、各メディアの方々の協力をいただき、広がってきました。

 ここから第2クール、第2ステージに進みます。
今各地のカネミ油症被害者の方々に「へその緒提供」の呼びかけを
しています。
かつてへその緒検査を行ったデータを基に、50年前に亡くなった
ご長男がカネミ油症であったことを証明して欲しいと長崎県庁に
申請中の岩村定子さんの強い決意が大きいと思います。

 時間は限られています。この4月から6月までに、どこまで活動が
推進できるか?このプロジェクトの力が試されています。

                  映画監督 稲塚秀孝

「へその緒プロジェクト」通信㉜

 ~「へその緒」に関する情報~

 3月も今日と明日の2日となりました。
先程連絡を取り合っている方からメールが入りました。
「カネミ油症被害者の方の第一子の方の「へその緒」がありますよ」
という内容で、第一子のお子さんは、5人のお子さんたちの中で、
一番具合が悪く、4月になると乳癌の手術を受ける予定だと聞きました。

「カネミ油」を口にしてから56年経った今も、いえ今こそ被害者の救済は
時間がないのです。
甘ったるい言葉は言いたくありませんが、被害者とそのお子さんの方々に、
”希望“をもたらすにはどうしたらいいのか?
喫緊の課題だと思います。

 先日、ある支援団体の方から、
「へその緒プロジェクトは、単に大きな花火を上げただけではないか?
確実に成果は上がるのか?」と聞かれました。私は、即座に
「それはわかりません。でも何もしないよりは、何か可能性にかけて
やることが必要じゃないでしょうか?」とお応えしました。

  65年前の北九州で、閉山となる炭鉱の闘う労働者が作った”行動隊”のテーゼが
あります。引用いたします。
1) やりたくない者にやれとは強制しない
2) 自分がやりたくないからという理由で、やる者を邪魔しない
3) やらない理由ははっきりさせる
4) その理由への批判は自由
5) 意見が違ったからといって、そのことだけで村八分にはしない。
意見があった時に行動すれば、仲間と認める

  このテーゼを1969年に大学の運動の中で知りました。
私はそれ以来、日本の多くの組織の在り方に疑問を持ちました。
“来るものは拒まず、去る者は追わず”
不条理な“内ゲバ”で仲間を失う“愚”は止めたいと思います。
そして、きっと”成果を出したい“と思います。

      映画監督      稲塚秀孝