「へその緒プロジェクト」通信㊿

 第23回三者協議(6月22日博多)から
 6月22日(土)降りしきる雨の中、福岡県合同庁舎内で、第23回カネミ油症三者会議が行われました。冒頭に掲載した写真は、会議後のぶら下がり会見の模様です。左側は、厚生労働省 健康・生活衛生局 総務課原澤朋史課長補佐。対する私(稲塚)が白手袋で差し出しているのは、長崎県五島市奈留在住の岩村定子さんから預かった「へその緒」の木箱です。

 各新聞社記者の方が一通り質問した後で、私は前回と同じカメラの角度から原澤さんに聞きました。「2009年頃から2015年頃まで、カネミ油症の被害者のへその緒の研究結果が示され、母体から胎児へ、カネミ油の毒性物質が約40%移行することが明らかに、定説となっています。なぜへその緒を検査されないのか?厚生労働省と九州大学が決めれば、福岡県保健環境研究所と北九州生活科学センターで行えるのはないでしょうか?」
と聞くと、原澤先生(原澤さんは群馬大学医学部卒、前職は前橋赤十字病院勤務)は、「へその緒は50年前のもので、検査しても数値に確たるものとは言えないし、カネミ油症の診断基準の(ダイオキシン類の)血中濃度が出るかどうかわからないという検査の専門家からの意見もある・・・・。

 そこで私は、画像のように、へその緒が入った木箱を示しながら、
「原澤先生、これは昨日の油症対策会議で紹介された、長崎県奈留島の岩村さんのお子さんのへその緒です。今月中に、京都にある島津テクノリサーチに持ち込み、検査してもらいます。その結果をお伝えしますので、検討してください」と伝えましたが、確たる返事はありませんでした。

 原澤先生(あえて医師であることを印象付け)の専門を聞くと、救急医療担当で、専門分野に移る前に厚労省に転身したのです。その後名刺交換した際、
「今製作中のカネミ油症の映画では、群馬大学の鯉淵先生のインタビューを行っています」
と伝えると、原澤先生は「鯉淵さんが教授になられた時に、授業を受けました。よろしくお伝えください」とこれまでと異なるように“素の顔”を見せました。

 鯉淵教授(群馬大学医学部教授、日本内分泌攪乱物質学会 会長)に原澤課長補佐とのやり取りを伝えると、
「彼(原澤課長補佐)は熱血漢で、学生代表として教職員に「授業改善」要求を行っていた。医師になる途中、政治に興味があると聞いていた。問題意識はあると思うが、厚労省職員の立場でどのように考えるのか?」
とご連絡をいただいた。

 厚労省の「医系技官」の方の多くは、診察現場、臨床経験(患者と向き合う)を重ねるよりも医学の知識優先であると知人から聞きました。ぜひ、原澤先生の胸に響いてくれたら、と願わずにはいられない。明日は長崎から京都へ向かいます。今後も報告を重ねてまいります。

   映画監督  稲塚秀孝

「へその緒プロジェクト」通信㊾

 6月21日(金)九州大学油症治療研究班による「油症対策会議」は博多駅構内の会議室で開かれました。参加したのは、九州大学油症治療班メンバー、カネミ油症被害者全国連絡会のメンバー、報道は主に記者クラブ加盟社、厚労省メンバーです。

 今回早くから報道関係番組を制作してきたことをアピールし、会場内に参加することができました。前日午後、当日午前に渡り、「カネミ油症検討会議」(12名の報告)があり、この4月から班長となった中原剛士九州大学皮膚科学教授が司会を務め、前半は会議の報告と全国連絡会メンバーからの質問がありました。

 私たち報道関係者は、傍聴のみで録音・録画は禁止ということでした。頻繁に質問が出ます。
◆「へその緒」検査のよって、次世代の診断が行えると聞きますが、やるんですか?
◆国(厚労省)から年間いくら九大に支払われているのですか?
◆油症被害者に歯牙疾患が多いとありますが、一般の方との比較はできているんですか?

 しかし中原班長は「ごはん論法」のように、質問の意図をゆがめ、はぐらかし続けました。何一つ検討する、いついつまでに答えるなどの“言質”を与えません。休憩をはさんで3時間、「徒労に終わる会議」でした。

 疑問はいくつもあります。
◆年間国から降りる予算は2億2千万で、半分は全国で行う被害者(認定・未認定)健診、半分は研究費と言われますが、この金額では素人の私でも、治療研究はできないはずです。
◆1968年から56年、今も皮膚科学の意思が研究・治療の中心にいるのはおかしい。
 症状は「病気のデパート」と言われるほど多いのに、半世紀も皮膚科が独占しているのは、歪である。今回「へその緒」の重要性が指摘されたが、本来産婦人科医師が答えるべき。

 会議後のぶら下がりでは、長崎県五島市奈留の岩村定子さんからお預かりした3人分の「へその緒検査」を迫ったところ、
◆半世紀前のへその緒では、数値に信ぴょう性がないと考えられる、の一点張り。研究者・医師によると、すでに2015年まで、母体から胎児へ毒性物質は40%も移行していることが明らかになっており、”定説“である。

 本来、九大とこれまでタッグを組んできた公的施設、福岡県保健環境研究所及び北九州生活科学センターが検査をすべきである、中原班長には伝えた。

 翌日6月22日は「第23回三者協議」が福岡県合同庁舎内で開かれたので、次回お伝えしたい。

  映画監督 稲塚秀孝

「へその緒プロジェクト」通信㊼

 今週21日(金)に九大油症治療班会議、22日(土)三者協議が開かれます。
それぞれ何か進展があるのか?新たな展開がみられるのか?今のところ
皆目予測がつきません。

 そして今日6月18日午後、福岡県庁食品衛生課を訪ね、カネミ油症申請書面を
提出しました。3年前から数回取材してきた、福岡県久留米市に住む高山美子
(たかやま よしこ)さんが、52歳で亡くなった故 高山哲夫さん(死因は
多発性骨髄腫)がカネミ油症だったことを訴え、私が代理人として、県庁の担当者に
説明し、提出しました。

 担当者は誠実に話を聞いてくれて、「検討します」と発言しました。
2月に長崎県庁に提出してから、2例目となります。

 これまで毎年開かれる一斉健診の際の、ダイオキシン類の血中濃度でしか、認定・未認定の
区別がされなかったことに、”風穴“を開けようと思います。

 申請は各自治体ごとでできるので、今後他の自治体にお住いの未認定と言われる方々の
救済につながればと思います。結果は1~2か月後でしょうか?待ちたいと思います。

    映画監督 稲塚秀孝

「へその緒プロジェクト通信」㊻

~10日後に向けて準備します~

 「へその緒プロジェクト通信」㊹でご案内したように、
今、「新・カネミ油症被害者基準」案を作成・検討中です。

 国(厚生労働省)は、原爆被爆者、水俣病を始め、数々の公害などの
被害者を、認定、未認定で区別して、分断統治のやり方を貫き、
被害者の側は、有効な抵抗手段を持たぬまま、歴史は重ねられてきました。
「へその緒プロジェクト」で提起したのは、カネミ油症被害者を認定者、
未認定者に”峻別”することなく、すべての被害者に救済を求めることに
間違いありません。そう確信しています。

 そのため、国や追随する国立大学、医療機関、支援者の方々に、
「新・カネミ被害者基準」(2024年版)を提起したいと思います。
なぜなら、今世間に流布されている「認定基準」なるものは、法的な根拠の
ないものを、信じ込まされているからです。

 また五島市在住の岩村定子さんに続いて、個人として「カネミ油症」
の証しを求める申請を行う準備を進めています。
これまでも、これからもカネミ油症被害者の方々の”思い“を伺って参ります。
簡単には言えませんが、「あきらめずに」行動してゆきたいと思います。
そしてその”思い”を、映画「母と子の絆~カネミ油症の真実」において、
汲み取れるように、反映できるように、したいと思います。

   映画監督  稲塚秀孝

「へその緒プロジェクト」通信㊺

 ~自主上映会を開きましょう~

 昨日(6月4日)、名古屋にてカネミ油症被害者の方のお話を取材しました。
私と同じ昭和25年生まれの女性です。17歳の時、カネミ油を家族5人で口にしています。
長崎県は海が素敵です。海の恵みの魚を天ぷらにするのは基本だったと言います。
23歳の時から5人のお子さんを産み、最初の3人は毎年生まれました。

 カネミ油症の症状は、長女に激しく現れました。後年「同居家族認定」で
カネミ被害者になったのは、本人だけ。毎年国の一斉検診を受けても、お子さんたちは
未認定のまま、です。後日長女のYさんとのへその緒をお預かりし、民間調査会社に
持ち込みます。サクサクと明るい語り口ですが、ふと辛かった過去を思い出して、
涙されていました。

 「母と子の絆~カネミ油症の真実」は全国の劇場で10月から順次公開しますが、
自主上映会も開始します。かつて2011年に「チェルノブイリハート」を配給した時は、
全国250か所で上映会を開催できました。新聞記事を見た各地の主婦の方から携帯電話に
連絡が来ました。「上映会を開くのは初めてですが、上映会までの進め方を教えて
ください。お友達に連絡します」という内容でした。

 次回、自主上映会の案内を掲載いたします。
                        映画監督   稲塚秀孝

「へその緒プロジェクト」通信㊹

~新・カネミ油症基準 宣言へ~

 すでに公表された長崎県庁の文書「故人のカネミ油症認定申請について」
を読み解くことで、「へその緒プロジェクト」としては、カネミ油症の基準を
新たに示したいと考えました。

 2月16日と3月11日(追加)の長崎県への申請に対し、文書では、
カネミ油症の”認定基準“を改めて明らかにしている。これは長崎県の発表だが、国=厚生労働省とその支配下にある九州大学油症治療班の見解であると思われる。

 カネミ油症患者の認定基準は、

1.毎年行われる一斉検診の結果(ダイオキシン類の血中濃度、50%と言われて
いる)によるもの
2.同居家族認定
これは認定希望者がカネミ油症事件当時(1968年)、同居してカネミ油を口に
していたこと

の2点とされていることであるが、これは日本の法律に明文化されておらず、
あくまで国=厚生労働省(九州大学油症治療班を含む)グループの”見解“に過ぎない。
ここはきちんと押さえておきたい。従って、今回「へその緒プロジェクト」として、
このあいまいな”認定基準“にアンチする意味から「新・カネミ油症基準」宣言を表そうと
考えているわけです。

 カネミ油症事件発生から56年が経過し、特に次世代(カネミ油を口にした父親及び母親から
生まれたお子さん、お孫さん)の救済を進めるために「へその緒」の重要性を訴えてきました。
体内のダイオキシン類の数値が、年数の経過とともに減少しているのは否めない事実で、
保存されている「へその緒」の意味に焦点を向けたいと考えています。

 6月に入り、6月21日は九大油症治療班主導の「油症対策委員会」、22日には三者協議
(国=厚生労働省、農林水産省、被害者全国連絡会、カネミ倉庫)を前に、アピール
いたします。現在、研究者、医師の皆さんと検討を重ねている「新・カネミ油症基準」宣言に
ご期待ください。

        映画監督 稲塚秀孝

「へその緒プロジェクト」通信㊸

 プロジェクト誕生から半年。
いよいよここからだ、と思います。

 昨年12月に立ち上げた「へその緒プロジェクト」はこの5月で
半年が経過しました。本年1月半ば、福岡市役所で「へその緒
プロジェクト立ち上げの記者会見を開き、福岡県、長崎県の各
メディアの記者の方々に、「カネミ油症被害者」救済の道筋を
示してきました。全国の研究者、医師の方々に連絡を取り、
様々な助言を受け取って来ました。

 6月に入り、「カネミ油症被害者」の方々の実相を明らかにするために、
「へその緒」検査に着手いたします。その検査と検査結果の行方については、
その都度、この場で明らかにしてまいります。

 元々福岡県、長崎県に多かった被害者の方々は、地元を離れ、全国に
散りじりになっています。先日20名の方々にお手紙を送りました。
その中で2通が戻ってきました。当方が把握している住所が違っていたの
です。しかしながら声を上げてくださった方もいます。まもなくまとめと
なる取材行脚に出かけたいと思います。

    映画監督 稲塚秀孝 

「へその緒プロジェクト」通信㊷

~長崎県からの”伝言“③~

 5月18日長崎県五島市奈留町。
カネミ油症被害者岩村定子さんのお宅で、長崎県庁の職員が
差し出した文書が、”これ”です。

 私は岩村さんの代理人を務めさせていただきました。
これまで記録映画を撮影してきた私は、取材対象者の方々と”一定の距離“を
おいて取材してきました。私が決めた”不文律”でした。それは、映画をご覧になる
観客の皆さんに「取材する側と取材される側」との間に、何らかの”利害“の気持ち
を感じないように考え、見ていただきたいという思いからでした。

 しかし今回は“禁”を破りました。50年前に長男を重篤な病気で亡くし、
満足に抱いてあげられないまま生後4か月で逝ってしまった”無念“を今も後悔
なさっていることを何度も撮影させていただき、「長男がカネミ油症だった」ことの
証(あかし)が欲しい、長男の墓前に伝えたいという思いを聞いて、今年2月に
研究者の方々のご意見をいただき、長崎県庁に申請を出しました。

 書面に書かれているのは、(カネミ油症)の認定はできない。
その理由は、カネミ油症の認定は2つのみ。

検診結果(ダイオキシン類の血中濃度)に基づかない
同居家族(1968年12月31日までに生まれた)であること

 いずれもカネミ油症事件から5年後に生まれた長男には該当しません。
どだい、検診すら受けられないまま、亡くなっているのですから。
でもここに、いくつかの“疑義”があります。
それについては次回通信㊸で延べたいと思います。

                  映画監督  稲塚秀孝

「へその緒プロジェクト」通信㊶

 ~長崎県からの“伝言“②~

 5月18日長崎県五島市奈留町。
 カネミ油症被害者岩村定子さんのお宅に、長崎県庁の職員2名が
訪ねています。私(代理人)と長崎新聞内野記者が立ち会っています。

 岩村さんの“思い”が述べられたあと、長崎県の見解が知らされました。
岩村満広さん(1973年12月、生後4か月で死亡)は、カネミ被害者として
認定に至りませんでした。
その理由は2点。

検診結果(ダイオキシン類の血中濃度)に基づかない
同居家族(1968年時点でカネミ油を口にした)ではない

 世の中に「杓子定規」という言葉があります。
満広さんは、確かに上記2点に該当しません。
検診を受けるまでもなく死亡していますし、1968年時点にはこの世に
生を受けていません。

 しかしながら、「口唇口蓋裂」「肛門がない=生後人工肛門となる」「チアノーゼ」
「心臓病」など、生まれながらにして、」ありとあらゆる重篤な状態でした。

 満広さんが生まれる5年前、定子さんが「カネミ油」を口にしています。
古江増隆九州大学油症治療班(当時)、元班長は、定子さんに
「カネミ油を食して10年以内に生まれたお子さんに現れた障害は、
カネミ油症由来と考えられる」と話しているのです。

 古江さんは現在、九大を停年退職し、個人医院を博多にて開業しています。
2か月前、私は古江さん宛に、お手紙を送り、岩村定子さんに話したことは
事実でしょうか?と問い尋ねました。
古江さんからすぐにハガキが届き、「私は在職当時のことは一切答えられません」
と書かれていました。
カネミ油症被害者(患者)と向き合う医師として、誠意はあるのでしょうか?

 医師、教師、弁護士(法職者)の皆さんの日頃の献身とご努力に、私はこれまで
リスペクトして来ました。
しかし、こと「カネミ油症事件」においては、大いに失望し、残念でなりません。

 私のモットーは「ドキュメンタリーは告発である」です。
ぜひ「母と子の絆~~カネミ油症の真実」をご覧いただきたいと思います。(つづく)

       映画監督  稲塚秀孝