すべてのカネミ油症被害者救済へ⑪

 ~診断する医師の方々と共に~

 映画「母と子の絆~カネミ油症の真実」の中で、カネミ油症事件はそもそも「食中毒事件」だったと問題提起している。サルモネラ菌などが食品に混入し、嘔吐や下痢を起こすことは、特に夏場に起こることは“日常茶飯事”に過ぎない。その場合、当事者か診断した医師は地元の保健所に連絡するのが常識的対応である。

 カネミ油症事件がメディアで報道されたのは、1968年10月10日の朝日新聞(福岡版)であって、福岡県大牟田支局の記者が書いた記事だった。大牟田保健所に被害の連絡が発端である。カネミ油症は、カネミライスオイルを使った食事を口にしたことで、皮膚に吹出物が噴出したことなどの症状が出たのである。そして「食品衛生法」(1947年制定)を遵守して、カネミ油を製造したカネミ倉庫(福岡県北九州市)に営業停止処置がとられたのである。

 そこで事件から57年が経過した2025年の今。当時カネミライスオイルを食べて、カネミ油症被害者と認められていない方々を診断し、診断書を地元の保健所に提出する動きを示したい!そのためには、診断する医師の協力が必須であるので、今後医師の組織、医師個人の協力を求めてゆくことに取り組みます。1人、一人の医師と出会い、ご相談してゆくことから始まる。明日23日、博多でその活動を開始します。
   映画監督     稲塚秀孝

「要請書」に対する国(厚生労働省)の担当者からの回答

(1/21)NEW!
 昨年12月後半に、「母と子の絆~カネミ油症の真実」製作委員会と「へその緒プロジェクト」では、秋に検査結果が出た「へその緒のダイオキシン類数値」を基に、国(厚生労働省)の担当者に「要請書」を送り、1月20日までに回答を求めました。正直よもや回答が返ってくると予測していませんが、昨日回答が届きました。皆様と共に”共有”したいと思いました。ご覧ください
 「母と子の絆~カネミ油症の真実」監督   稲塚秀孝

 厚生労働省健康・生活衛生局総務課指導係でございます。先日ご連絡いただきました標記について、以下のとおりご回答申し上げます。
① 国(厚生労働省)及び全国油症治療研究班、九州大学油症治療研究班は、速やかに「カネミ油症被害者」のへその緒検査を実施し、子や孫の健康被害に対し、医学的措置と補償を行うことを要請する。
(答)
 臍帯のダイオキシン測定については、正確性、再現性、当時の正常値が無いなどの問題が有るため、カネミ油症の診断基準に含まれておらず、測定しても、認定に活用することは困難であるものと承知している。
② 国(厚生労働省)は、現在の認定制度基準(ダイオキシン類の血中濃度、50ピコグラム、1968年12月31日現在の同居家族)を撤廃し、すべてのカネミ油症被害者の救済に着手することを要請する。
(答)
 カネミ油症の認定については、PCB等の毒性に関する科学的知見や、患者の検診結果等の最新の科学的知見を踏まえ、認定が行われているものと認識している。国としては、カネミ油症患者に関する施策の総合的な推進に関する法律に基づき、引き続き、カネミ油症患者に対する必要な施策の実施に努めてまいりたい。
③ 国(厚生労働省)は、1968年当時カネミライスオイル(ダイオキシン類が混入した油)を食べた親から生まれた子や孫に「カネミ油症被害の症状」が診断された場合、「カネミ油症被害者」と認めることを要請する。
(答)
 子や孫世代においてもカネミ油症の診断基準を踏まえて認定が行われていると認識している。診断基準に関しては、研究成果や検診結果等の最新の科学的知見に基づき、必要に応じ、研究班において見直しが検討されるものと承知している。

すべてのカネミ油症被害者へ⑩

 ~今日、厚労省生活・健康局から・・~
 1月20日までに回答を求めた厚労省生活・健康局へ送った「要請書」に対し、思いがけず”回答“が届いた。いま、この”回答“に対する”反論”を作成中である。
 実に”杓子定規“な内容で、見事なほどだ。きちんとした”反論”にしなくてはならないので、一両日吟味を施したい。熟成させたい、”信州みそ”のように。分かり次第、皆さんに伝えたいと思います。
    映画監督   稲塚秀孝

すべてのカネミ油症被害者救済へ⑨

 ~小倉昭和館上映の2日間~

 1月18日・19日、福岡県北九州市小倉昭和館で「母と子の絆~カネミ油症の真実」上映会を行いました。80名を越える方々にご覧いただきました。

 カネミ油症事件(1968年)から57年。今も油症被害に苦しみ、子や孫の次世代にも症状が現れていて解決していないことを痛感する2日間でした。見終わってお帰りなる来場者の方々のお顔を拝見すると、明るさとか暗さではなく、”歴史と事実“をそれぞれかみしめていらっしゃる、のだと感じました。

 私も座席で2日間見ました。日によって、感じ方が違いました。これは不思議な体験でもあります。上映後のトークに、カネミ油症被害者全国連絡会 三苫哲也事務局長を迎えました。三苫さんは、カネミ油症被害者が置かれた現状を丁寧に、ユーモアを交えて話してくれました。

 25日からナゴヤキネマ・ノイで上映が行われます。
                                   映画監督  稲塚秀孝

すべてのカネミ油症被害者救済へ⑧

 ~”聖地“小倉昭和館”で上映へ

 今日18日と明日19日、福岡県北九州市小倉の老舗映画館小倉昭和館で「特別上映」が行われます。劇場の館長にとって、今回の上映は“大英断”だったのではないかと推察し、心より感謝しています。というのも、小倉駅と西小倉駅の北、海側に「カネミ倉庫」が現存しています。1968年カネミ油症事件を引き起こした「カネミライスオイル」は、カネミ倉庫が製造しており、この街にはたくさんのカネミ油症被害者がいるからです。

 今日は上映後に、カネミ油症裁判(原告=被害者、)被告=カネミ倉庫、加藤三之輔カネミ倉庫社長、鐘渕化学工業(カネカ・鐘化、カネミ油症の原因となったPCB製造企業)、国、北九州市の裁判に関わった高木健康弁護士にお話を伺いました。

 高木氏は、この事件が”化学物質“が原因だったこと、被害者の方々への補償をいかに確保したのかについて、お話しされました。また、今も毎年6月、「公害総行動デー」に参加していることで、被害者の方々とつながりを持っていると強調されました。

 今年2025年は“昭和100年”の節目の年。昭和43年に起こった「カネミ油症事件」から57年目となります。いま、今から何ができるのか?「へその緒検査」で見えてきた内容をいかにして、国を動かすことに活かせるのか?ここ”聖地“小倉の地で見据えたいと思います。

  映画監督  稲塚秀孝

すべてのカネミ油症被害者救済へ⑦

 ~カネミ油症裁判・公判記録を読む~

 1月15日から北九州市小倉で、カネミ油症裁判(昭和50年代)の公判記録を3日間に渡って読みました。原告となるカネミ油症被害者の強い思いを感じます。そして”やるせない思い“も。

 なぜ「カネミ油症事件」が起こったのか?鐘渕化学工業が製造したPCBは、米ぬか油の脱臭のために使われていましたが、それは妥当だったのだろうか?
 ライスオイルという、食品製造の現場で、毒性の化学物質のPCBを使用することに、国は”不作為”ではなかったのか?など。

 57年前に起こった「カネミ油症事件」ですが、今も被害に苦しむ皆さんの救済に向けて、今だからこそ“わかる”ことを今後とも示していきたいと思います。               
                              映画監督  稲塚秀孝

すべてのカネミ油症被害者救済へ⑥

 ~カネミ油症裁判の”現実“を読む~

 一昨日(15日)からカネミ油症事件の公判記録の一部を読み進めています。福岡地方裁判所、高等裁判所(小倉支部を含む)の判決、訴状、準備書面など22冊が対象です。

 準備書面は、原告(カネミ油症被害者)、被告(カネミ倉庫、鐘渕化学工業、国)が、それぞれ自分たちの主張を展開していて、そこまで言うか?とか、何を根拠にしているのか?等、思いがけない主張が見受けられます。特にカネミ油症事件の原因がピンホール説(PCBが脱臭缶のパイプを腐食させた=鐘化に不利)なのか工作ミス説(カネミ倉庫の作業ミスによりパイプに破損)なのか?に注目です。

 次に気にかかるのは、1987年3月最高裁で”和解”が成立した経緯についてで、それは改めて調査できたらと思います。いずれにしても「カネミ油症事件」発生から57年が経過しました。こうして過去を検証すると共に、被害者救済のために、何をして行くべきなのか?今更ながら、この事件の”底深さ”を感ぜずにはいられません。

 そして、明日18日と19日は、ここ小倉昭和館で「母と子に絆~カネミ油症の真実」の上映が行われます。加害企業と被害者が住むこの街で、映画上映が実現した”意味“を考え、ご覧いただいた方々の声を聴きたいと思います。
    映画監督  稲塚秀孝

すべてのカネミ油症被害者救済へ⑤

  ~国会上映会の準備のとき~

 1月28日(火)午後5時から参議院議員会館講堂で「母と子の絆~カネミ油症の真実」上映と対話集会(記者懇談会)を行います。今から2か月前、かねてから連絡を取り合っていた参議院議員の方を訪ね、「国会上映会」開催の協力をお願いしたところ、間髪入れずに「やりましょう」と応えてくれました。その方は以前民間放送で報道の仕事をしていており、立教大学で「二重被爆」の上映会を開かれた際、トークゲストとして来ていただきました。今から15年位前のことです。そして・・・・

 10日(金)午後、厚生労働省記者室を訪ね、国会上映会の案内とチラシを20社のボックスに”投げ込み”しました。100均で新しいクリアファイルを購入し、資料を挟み込みました。通りすぎる各社の記者の方々に「こんにちは」と声をかけますが、返事はありません。私は”業者か!“と思いましたが、気を取り直して、目的は”投げ込み”ですから・・。

 そこに公共放送局の記者がやってきて、ボックスからクリアファイルを取りましたので、“ありがとう・・”と声をかけようとしたところ、その記者は「国会上映会」の案内をゴミ箱に捨てたのです。しかも真新しいクリアファイルは手に持ったまま、ご自分のブースに戻りました。私はゴミ箱から、資料を拾い上げ、部屋を出ました。報道の一隅にいる私にとって、”心痛む、悲しい場面”でした。

     映画監督   稲塚秀孝