すべてのカネミ油症被害者救済へ(112)

 ~正月明けに動くこと~

 熊本県水俣市から戻った、「カネミ油症被害者救済プロジェクト」共同代表の藤原寿和さんから連絡がありました。「水俣病事件とカネミ油症事件との連携を行おう」という確証が得られた、というのです。新春にすばらしい展開だと思います。

 正月明けにいくつかのプロジェクトの立ち上げができるかも知れません。すでにお伝えした「カネミ油症事件・五島フォーラム2026」(2026年10月10日開催予定)もその一つです。ヒントは、
①新たな”映像批評プロジェクト”(仮称)の展開です。
 私はSNS民による「オールドメディア」批判を苦々しく思っています。もちろんフランクな、自由な”批判”はOKですが、名前も名乗らない”無署名性“民を許すことができません。”名乗り出ろや!”と言いたいのです。そこで近年低調と思える”映像(テレビ・映画など)批評”の場を作りたいと思っています。近日中にプランを提示し、遅くも今年夏までに開始したいと思います。
②”1960年代プロジェクト”(仮称)の展開です。
 私は「憲法を武器として 恵庭事件知られざる50年目の真実」(2017年)を今も 東京・文京区民センターで上映中です。先日1月10日が第74回目の上映会でした。恵庭事件が起こったのは、1962年12月、札幌地裁で”被告無罪”の判決が出たのは、1967年3月でした。そして昨年秋公開の「市街戦のジャズメン 作家佐藤泰志の衝撃」の題材は、1967年10月8日羽田闘争(佐藤栄作首相 南ベトナム訪問阻止)でした。さらに現在編集中の「幻のかくめい」は、1958年発行の「サークル村」に始まり、 1961年~の「大正炭鉱闘争」(大正行動隊から大正鉱業退職者同盟)に迫る内容となります。

 私が大学に進んだのは、1969年。衝撃は1969年9月5日「全国全共闘結成集会(日比谷野外音楽堂)の現場にいたことでした。はじめて”赤軍派”が登場した瞬間でしたから。当時を生き、活動したり、ノンポリとして眺めていた皆さんに呼びかけたいと思います。

 というように、新たな展開ですが、原点の考え方は、
◆やりたいものがやる、やりたくないものはやらなくていい
◆やりたくないものは、やりたくないという理由で、やりたいものの邪魔はしない
◆やりたくないものが、やりたくなったら、仲間として迎え入れる
ということで考えています。何が、どうできるのか?自分自身でもワクワクしているところです。

                  カネミ油症被害者救済プロジェクト 代表   稲塚秀孝

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