すべてのカネミ油症被害者救済へ(110)

 ~カネミ油症と水俣病②~

 水俣病を広く国内外に伝えたのは、石牟礼道子さんが書いた「苦海浄土」(1969年・講談社刊)が大きかったのではないでしょうか。その約10年前、福岡県中間市(北九州市の南)で発行されていた「サークル村」(1960年1月号)で「水俣湾漁民のルポルタージュ~奇病」が発表されました。作者は、石牟礼道子さん、その人です。
「水俣市立病院奇病特別病棟X号室  坂上ゆき 入院時所見
 30年5月10日発病。手、口唇、口唇の痺感、言語障碍、言語は著明な断綴性蹉失性を示す。歩行障碍、狂躁状態、骨格栄養共に中等度、生来頑健にして著患を知らない。顔貌は無慾状であるが、絶えずAtheose 様、Chorea様運動を繰り返し、視野の狭容があり、正面は見えるが側方は見えない。知覚障碍として、触覚、痛覚の鈍麻がある。
 ここではすべてが揺れている。ベッドも天井も床も扉も、窓も、窓、窓の向こうの山もそれは揺れる気流だった。生まれて40年、ゆきが生命を起点にこよなくつながっていた森羅万象は、ある日から、あの昼も夜もわからない痙攣が起きてから、彼女の身体を離れ去り、それでいて切なく、小刻みに近寄ったりする。絶え間ない小刻みなふるえの中でゆきは少し笑う・・・・・・・・

 淡々と水俣病被害者の”いきざま”が描写され、そこには文学的に見事なまでに、適確な”比喩”が添えられている。そして冷徹な被害の実態が、数字と共に書き加えられているのである。

 「水俣病」にあって、「カネミ油症」にないものは何か?を考えてみると、いろいろな見地から言えるのだが、深刻な被害者を世に問うための”表現のチカラ”ではないだろうかと思う。石牟礼道子作「苦海浄土」に代表されるルポルタージュ作品、そして原一男監督らによる映画(映像)の力ではないだろうか?

 しかし今こそ、”悲観”している刻(とき)ではない。ここからいかにしてカネミ油症被害者救済への方向の中で、より深く、広く表現してゆかないといけないと感じている。「母と子の絆~カネミ油症の真実」(2024)は、そのために一里塚であり、端緒なのだと思っている。

                  カネミ油症被害者救済プロジェクト 代表   稲塚秀孝

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