~「羽田闘争」から学ぶこと~
2か月前から断続的に北海道苫小牧市に通い、「市街戦のジャズメン~作家 佐藤泰志の衝撃」の編集を進めています。いよいよ明日最終MA(音処理)の日で、完パケ(完成)を迎えます。取材開始は2021年12月ですから、4年近くが経過しました。
1967年10月8日佐藤栄作首相(当時)の南ベトナム訪問阻止闘争が羽田空港に繋がるいくつかの橋で展開し、京都大学生、山﨑博昭さんが亡くなりました。機動隊による”撲殺”ではないかと言われています。山﨑さんの死に衝撃を受けた佐藤泰志さん(函館西高校3年)が書いた小説「市街戦の中のジャズメン」は、第5回有島青少年文芸賞優秀賞になりましたが、新聞本誌に掲載されませんでした。それはなぜか?
今回羽田闘争を描いた映画「現認報告書」(小川伸介監督)をお借りしました。迫力がありました。当時各セクトは”一点突破全面展開”すべく、羽田空港に繋がるいくつかの橋の攻撃を”分担”していました。結果として、機動隊の壁は崩せず、羽田空港に突入できず、「佐藤栄作首相南ベトナム訪問阻止」はできませんでした。
私はその頃、北海道苫小牧市に住む高校2年生で、恵庭事件を題材に劇を上演していましたが、10月9日の北海道新聞1~4面を埋めた見出しと写真は記憶に残っています。
58年後の今、「羽田闘争」から何を学ぶか?それは、”志(こころざし)”が近い人たちが、それぞれに”闘い”戦線”を広げなくてはいけない、という思いです。できるか、できないかが問題ではありません。やること、実行することが大事なのです。すべてのカネミ油症被害者救済に向けて、当プロジェクトは全力を尽くそうと考えています。
「カネミ油症被害者救済プロジェクト」
代表 映画監督 稲塚秀孝