すべてのカネミ油症被害者へ(59)

 ~メディアの連携を深めたい

 私事ですが、前回の(58)を書いた時から、腰を痛めました。正確には6月13日午後5時頃、それは「油症対策委員会」終了後、中原班長(九大皮膚科教授)のぶら下がり会見後のことでした。

 福岡・長崎のメディアの記者の質問が途絶えた時に、「班長、不適切な映像使用により、今回の会見で撮影・録画禁止(6月11日)と伝えられましたが、(翌日撤回)これは、映画つまり私たちが原因なのでしょうか?」と聞くと、中原班長は至極あっさりと、「その通りです」と答ました。
私は「それは取材と情報公開に対する誤った認識ですので、近日中にご連絡させていただきます」
と伝え、まもなく会見は終了しました。

 当初5分の会見と限定されていましたが、結局20分かかりました。主な内容は「次世代調査」結果など、前回の会見から”後退“の色濃いものでした。明らかに開き直りでした。私はその日の「油症対策委員会」における中原班長の進行とカネミ油症被害者の質問等に”不毛”を感じていましたので、くねくねと長い廊下で中原班長と二人きりになりましたので、問いかけました。「班長、いつまでこんなこと(不毛な)を続けるつもりですか?」と、当然ながら中原班長は答えることはありませんでした。

 翌日の「三者協議」には、腰の痛みで参加できず、やむなく帰京。そこで三者協議における撮影・録画の禁止について、なじみの記者の方に聞きますと、撮影・録画の禁止は実施され、カメラレンズを下に向けて、録音ができるようにしたそうです。カメラマンらスタッフも”大いなる屈辱”を感じたことと思います。

 そもそもカネミ油症事件について、”記者クラブ“は存在しません。そこでまず今カネミ油症を担当している記者の皆さんとの情報共有をしながら、“カネミ油症事件記者ネットワーク”を作りたいと思います。それはそれは簡単なようで、簡単ではありません。各記者とも”独自の記事”を書きたいと思うのが習性です。 ですから私も、均一な情報を伝えず、各社向けに”異なるネタ“を用意するのが、当然となっています。従って、10社以上の記者向けに、異なった表現でメールを送ります。また地元のメディア(福岡=西日本新聞、長崎=長崎新聞)以外の全国紙の支局では3年ごとに転勤になるため、”継続性”が担保できていません。カネミ油症事件をこまめに報道し、問題意識を喚起するためにも、早急にネットワーク作りに取り掛かりたいと思います。                                                

                              映画監督     稲塚秀孝

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