すべてのカネミ油症被害者へ㉟(3/21)

 ~激動の日々~

 3月20日午前3時14分、岩村定子さんが長崎県五島市の病院で病死。3月21日正午から五島市奈留で葬儀が執り行われました。

 岩村さんを多く取材することから「母と子の絆~カネミ油症の真実」が出来上がっていることは、間違いありません。何度も訪ねるたびに、優しく迎えて下さり、1973年12月に生後4か月で亡くなった、長男満広さんへの思いを語ってくれました。

 カネミ油症由来の満広さんのへその緒の再検査を求める岩村さんに、冷淡に「すでに検査する機材は廃棄されている」と言い放った福岡県保健環境研究所の技師の電話を終えて、ふーっとため息をつき、
 「国なんです、国が変わらない限り、満広は浮かばれない。母親として息子の墓前に報告できなければ、死んでも死にきれない・・」と言葉を継いだ時のことを思い出します。2023年11月のことでした。

 それから3か月後から過酷なガンの闘病生活が始まったのです。2月18日長崎県生活・衛生課に「満広さんのカネミ油症申請」を提出、3か月後県職員2名が、フェリーで奈留島の岩村さん宅を訪ね、申請却下の書面を示しました。理由は、
1. 満広さんがカネミ油症検診を受けていないこと。
2. 満広さんが1968年12月末までに生まれた油症被害者の同居家族ではないこと。
でしたが、世の中にこんな文章があるのか?と目を疑いました。満広さんは生まれてから寝たきりの状態で、検診を受けられる状態ではなかったですし、生まれたのは1973年8月5日です。

 その文書を読んだ岩村定子と夫の正勝さんは、静かに職員を見送りました。これは”ボタンの掛け違い”なんかじゃない、現場にいた私はそう感じました。岩村定子さんを心から追悼するのは、決して今ではありません。「へその緒プロジェクト」がすべてのカネミ油症被害者救済に向けて、大きく〝活路“を開いて、定子さんと満広さんの墓前に報告できたとき、そう思います。

                         映画監督         稲塚秀孝 

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