~12月2日 故満広さんの命日~
真夜中の博多港からフェリー「太古丸」に乗船し、今朝7時25分五島市奈留港に着船。出勤する奈留の方から声をかけられました。
「監督、これから取材ですか?」マスク越しなので、どなたか分からないまま、「ありがとうございます」と返事をしました。奈留に通うのも10回近くになり、顔見知りも増えたし、長崎新聞の記事や9月の奈留上映会に来られた方かもしれない。うれしい。
今回の目的は、岩村定子さんから預かった「へその緒検査」が終わり、残された3人のお子さんの「へその緒」をお返しに上がったのです。定子さんは福江の病院に入院中、今年2月から、がんと闘っています。ご主人に「へその緒」をお返しし、今日は長男満広さんの命日、1973年12月2日に生後4か月で亡くなったのだ。声を上げることができなかった、カネミ油症被害者なのです。満広さんの仏前に手を合わせたいとお願いし、ご主人から小さな木の札を見せていただく。私はこみ上げるものを感じながら、手を合わせました。まだ、まだ満広さんの”無念“を晴らすことができていない、が、今後いかなる方法を駆使しても、定子さんと満広さん親子のお気持ちに報いたいと誓いました。
映画監督 稲塚秀孝