K・サトル様から転載の了解を得ましたので、ブログ「アリの一言」の投稿を以下に転載致します。
映画が追及する「カネミ油症事件」の真実と謎
2024年11月09日 | 事件と政治・社会・メディア



「カネミ油症事件」。言葉は聞いたことがあってもその内容、経過を知る人は多くないでしょう。ましてそれが過去のことではなく、今なお多くの謎を含んでいることはあまり知られていない、知らされていないのではないでしょうか。
そんな日本社会(マスメディア)に一石を投じたのがドキュメンタリー映画「母と子の絆~カネミ油症の真実」(監督・プロデュース=稲塚秀孝氏)です。京都市内では8日に公開されました。
「カネミ油症事件」とは何か。
「森永ヒ素ミルク事件(1955年)、熊本水俣病事件(公式確認1956年)とともに、日本の三大食中毒事件の一つ。初めて公にされたのは、1968年10月10日付朝日新聞夕刊で、「正体不明の奇病が続出」と報道された。
原因は、鐘淵化学工業(鐘化、現在のカネカ)が製造したPCB(ポリ塩化ビフェニル)が、カネミ倉庫(北九州市)製造の米ぬか油(写真中)に混入し、それを摂取したこと。福岡、長崎、山口、広島など西日本一帯で皮膚疾患、内臓疾患、免疫疾患、神経疾患など様々な症状を訴える被害者が続出。その数は約1万4000人。被害者は今も苦しみが続いている」(映画パンフレットより)
この事件が現在進行形だというのは、第1に患者認定が遅々として進んでいない(国がすすめていない)ことです。厚労省が発表した最新の認定患者は2377人(2024年3月31日現在)。発症者(約1万4000人)の2割弱にすぎません。申請していない潜在的被害者数はいまだに不明です。
第2に、カネミ油の毒(PCBに含まれるダイオキシン類)は母体から胎盤を通して生まれる子どもに移り、子どもは短命であったり病気がちであるにもかかわらず、患者認定されていないことです。
そして、事件は発生当時から不条理と謎に包まれています。
①食中毒事件であるにもかかわらず、食品衛生法に基づく保健所への届け出がなされなかった(食品衛生法に基づいて処理されていれば認定は不要)。
②最初の報道から4日後に、九州大学医学部の教授らによって「油症研究班」が編成。以来、国(厚労省)と九大医学部が連携して患者認定を抑制してきた。
③患者認定は、検診→診断(九大油症班)→診定(診定委員会)→認定(知事)の4段階で行われる。診定委員会はメンバーも非公開というブラックボックス。不認定でも異議申し立てもできない。
④原因物質はPCBと分かっているが、それがどうして油に混入したのかはいまだに不明(「ピンホール説」か「工作ミス説」か)
映画製作に協力し出演もしている原田和明氏(北九州市立大学)は、「複雑な「認定制度」といい、汚染原因の歪曲といい、カネミ油症事件は単なる「食中毒事件」ではなさそうだ」(映画パンフレット)と指摘しています。
原田氏はパンフレットではここまでしか述べていませんが、自著『ベトナム戦争 枯葉剤の謎』(飛鳥出版2024年5月)では、三菱モンサント化成がPCBの国内製造を開始したのが事件発覚の翌年(1969年)であったことや、それまでカネミとは取引がなかった離島に突然事故油が持ち込まれたことなどをあげ、「人体実験疑惑」を指摘しています。
こうした疑惑の究明とともに、なによりも重要なのは、苦しみ続けている被害者の認定を抜本的にすすめること、あるいは症状がありながら申請をためらっている被害者を救済することです。
映画上映のあと舞台挨拶した稲塚監督(写真右)は、認定をすすめる上で“母と子の絆”である「へその緒」の検査が決定的なカギを握っていると強調しました。国や九大がやろうとしないので、監督は自ら被害者の岩村定子さんの3人の子どもの「へその緒」を預かり、自費で民間の機関に検査を依頼しました。
その結果が先月22日に報告され、母体から胎盤を通して毒性物質が移行したことが明確になりました。
稲塚監督は、「今後、国と九大油症治療班に対し、へその緒検査を推進するよう働きかけねばならない」と述べるとともに、「周りのかたがたに「カネミ油症事件」を伝えていただきたい」と訴えました。
「食品公害」をめぐる国の不条理・被害者切り捨て、企業、大学と一体となった事件の矮小化・隠ぺい、枯葉剤と通底するPCBの製造―「カネミ油症事件」は多くの問題を突き付けています。このまま闇に埋もれさせることはできません。