~ラストコメントの悩み~
今回の「母と子の絆~カネミ油症の真実」は13本目の作品。
2006年「二重被爆」から始まった映画製作の旅路は18年で
13本目となったのです。
母親の気持ちになれば、多産系で13人目の”子“を産み落とすのは、
振り返っても、山あり谷ありでした。誇るべきは、“頼まれ仕事”はないこと。
自分で見つけ、選び、調べてこぎつけた結果です。もちろん様々な
方々の助言をいただきましたが・・・。
そして映画の最後の「ラストコメント」にはひときわ思いが募ります。
仲代達矢さんに読んでいただいた「書くことの重さ」(2013)、
「憲法を武器として」(2017)「ああ栄冠は君に輝く」(2018)は格別です。
映画のまとめでありながら、映画をご覧いただいた不特定多数の方々への
メッセージには、今を生きる、これからを生きる皆さんを思う内容でしたから。
今回はエンディングロールの中で、女優、円地晶子さんに読んでいただいた
もので、収録はしたのですが、そのまま映画の中で使おうかどうか?
最後まで、実は昨日まで悩んだ経緯があります。
その内容を、映画を離れて、皆さんにご覧いただきたいと思います。
「自分がカネミ油症かどうかもわからないまま、体調に不安を抱えている
人たち。全国には、名乗り出る“すべ”を持たない、潜在的なカネミ油症被害者が
数万人にのぼるのではないかと考えられています。
もしも半世紀前、カネミ油症事件が起こった時に『食品衛生法』に基づいて、
食中毒として適切な処置がなされていたら、これほど悲惨な歴史をたどることは
なかったのではないでしょうか。
今こそこの映画をご覧いただいたみなさんに考えていただきたいと思います。
ずうっと無策だった国、厚生労働省、九州大学を始めとする医師、研究者、
そして弁護団、支援してこられた方々、すべてに“応分の責任”があったのでは
ないでしょうか。
事件発生から56年が経過した今からでも遅くはありなせん。
すべてのカネミ油症被害者の方々の救済のために、お一人お一人の”勇気“と”力“が
いま問われているのです」
2006年長崎セントラル劇場の階段で「監督、カネミ油症事件はご存じですか?」
と声をかけてくれた女性がいました。
それから18年、取材を始めてから4年、85分58秒の映画本編で描き切れなかった
ことは数々ありますが、このラストコメントが、私が今皆さんにお伝えしたい”思い”です。
映画監督 稲塚秀孝