~長崎県からの“伝言“②~
5月18日長崎県五島市奈留町。
カネミ油症被害者岩村定子さんのお宅に、長崎県庁の職員2名が
訪ねています。私(代理人)と長崎新聞内野記者が立ち会っています。
岩村さんの“思い”が述べられたあと、長崎県の見解が知らされました。
岩村満広さん(1973年12月、生後4か月で死亡)は、カネミ被害者として
認定に至りませんでした。
その理由は2点。
検診結果(ダイオキシン類の血中濃度)に基づかない
同居家族(1968年時点でカネミ油を口にした)ではない
世の中に「杓子定規」という言葉があります。
満広さんは、確かに上記2点に該当しません。
検診を受けるまでもなく死亡していますし、1968年時点にはこの世に
生を受けていません。
しかしながら、「口唇口蓋裂」「肛門がない=生後人工肛門となる」「チアノーゼ」
「心臓病」など、生まれながらにして、」ありとあらゆる重篤な状態でした。
満広さんが生まれる5年前、定子さんが「カネミ油」を口にしています。
古江増隆九州大学油症治療班(当時)、元班長は、定子さんに
「カネミ油を食して10年以内に生まれたお子さんに現れた障害は、
カネミ油症由来と考えられる」と話しているのです。
古江さんは現在、九大を停年退職し、個人医院を博多にて開業しています。
2か月前、私は古江さん宛に、お手紙を送り、岩村定子さんに話したことは
事実でしょうか?と問い尋ねました。
古江さんからすぐにハガキが届き、「私は在職当時のことは一切答えられません」
と書かれていました。
カネミ油症被害者(患者)と向き合う医師として、誠意はあるのでしょうか?
医師、教師、弁護士(法職者)の皆さんの日頃の献身とご努力に、私はこれまで
リスペクトして来ました。
しかし、こと「カネミ油症事件」においては、大いに失望し、残念でなりません。
私のモットーは「ドキュメンタリーは告発である」です。
ぜひ「母と子の絆~~カネミ油症の真実」をご覧いただきたいと思います。(つづく)
映画監督 稲塚秀孝