岩村定子さんの想いは深く!

2018年11月17日、カネミ油症発生(1968年)から50年目の節目の取材より
◎亡き子の患者認定求めて 
 へその緒から原因物質 

 長崎県五島市に住む認定患者の岩村定子(いわむら・さだこ)さん(69)は、食
品公害「カネミ油症」が表面化してから5年後に産んだ長男満広(みつひろ)ちゃん
を、生後4カ月で失った。近年になり、へその緒から検出された原因物質。亡き息子
の患者認定を求めて、闘い続けている。

 同市で17日に行われた追悼式。代表して献花した岩村さんは口を真一文字に結
び、こみ上げる涙をこらえた。早世した長男の面影が、頭の中をよぎる。

 1973年8月に未熟児で生まれた満広ちゃんは上唇が裂け、肛門がなかった。心
臓の弁がふさがっていることも判明し、すぐに別の病院へ移された。青白い全身の肌
は、泣くたびにどす黒くなったという。同年12月のある朝、容体が急変する。うめ
き声を上げ続け、搬送先の病院で翌日、息を引き取った。

 「どうして元気な子を産めなかったのか」。岩村さんは自問自答を繰り返した。五
島列島で生まれ育ち、19歳でカネミ倉庫(北九州市)製の米ぬか油を口にした。た
だ、妊娠中の定期検査で胎児に異常はなかった。

 油症患者の女性から黒ずんだ皮膚の赤ちゃんが次々と生まれていることを、後に知
る。自身も目まいや背中のかゆみといった症状があり、40代で子宮筋腫、50代で
大腸がんを患った。「油が子どもにも影響したのだ」と、岩村さんは考えるように
なった。

 2005年、節目の三十三回忌。「これで終わらせていいのか」。家族が差別され
る可能性を思うと葛藤はあったが、09年に油症の検診を初めて受け、翌年に患者認
定を得た。

 5年前、満広ちゃんのへその緒を、九州大の油症研究班に鑑定してもらった。死後
40年ほど経過していたのに、ダイオキシン類が検出された。「長男も油症だったの
か」と詰め寄ったが、研究班は実例が少ないことを理由に「判断できない」と回答し
たという。

 手元に残る満広ちゃんの写真は、1枚だけ。看病に追われ、思い出を残す余裕がな
かった。「なぜ生きられなかったのか。理由をはっきりさせて墓前に報告するのが、
親の義務でしょう」

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