すべてのカネミ油症被害者の救済へ(55)

 ~見逃さないぞ!と思う~

 昨日(6月2日)厚生労働省健康・生活衛生部の担当部署から、6月14日開催の「三者協議」(国=厚生労働省・農林水産省、カネミ油症被害者全国連絡会、カネミ倉庫)への報道取材(中身は別室での傍聴のみ)の申請内容が公表されました。

 早速タキオンジャパンとして、申請したところですが、そこで気付いたことがありました。それは「三者協議」後の国の記者会見に関して、撮影を許可しないというのです。これまで福岡・長崎の放送局などのカメラ取材班が”ぶら下がり会見”取材をしていましたが、録音のみに限定されたのです。何と“姑息”なことなのでしょうか?

 「母と子の絆~カネミ油症の真実」では、2024年1月「三者協議」後のぶら下がり会見での厚生労働省原澤課長補佐の言葉を伝えています。そして現在回答待ちの再々「要請書」では、その時の会見の映像を厚労省に送っています。「映画の内容は”情報の切り取り“とのステレオタイプの反応に対して、撮影素材の提供によって対抗したのです。ここは決して見過ごしたり、見逃したりしてはいけないと思います。メディアの方々に呼び掛け、抗議と撤回要請に動きたいと思います。

                                映画監督     稲塚秀孝

すべてのカネミ油症被害者救済へ(54)

 ~原点から見直す~

 「へその緒プロジェクト」が始まったのは、昨年1月12日(福岡)なので、まもなく1年半が経過しようとしている。何が前へ進められたのか?何が”獲得”できたのか?故 岩村定子さんの3人のお子さんのへその緒検査により、ダイオキシン類がお子さんに移行している(していた)事実は明白となった。

 そこで今取り組んでいるのは、大きく2点。

1.岩村満広さんのへその緒検査が2度行われ、初回は2013年九州大学油症治療研究班、古江増隆班長の頃だった。結果は、へその緒に農薬が混じっていて、“カネミ油症が原因”とは言えない、というものだった。昨年行われた島津テクノリサーチと大塚製薬チームの検査では、農薬由来と思われた数値は、40分の1になっていたのである。何故2013年にこのような結果を出したのか?原因は何か?古江班長(当時)、梶原淳睦技師(現在北九州生活科学センター)に答えてもらいたいと考えている。

2.2009年5月発行の「福岡医学雑誌」には、へその緒に関する2つの調査結果が掲載されている。九州大学油症治療研究班の長山淳哉助教授、梶原淳睦技師(先述)のグループと宮田秀明摂南大学教授(当時)のグループで、いずれもカネミ油症被害者と健常者におけるダイオキシン類について報告している。皮肉なことに、当時積極的に被害者がへその緒を提供しているため、今へその緒の提供を呼び掛けても、「あの時渡してしまった」という事になった。

 重要なのは、そこから「へその緒検査・研究」が途絶したことである。以来、”15年の空白“はカネミ油症事件被害者救済に向けた「へその緒プロジェクト」にとって、大きな損失であり、そこには国(厚生労働省)と九州大学の野合による、“隠蔽”としか考えにくいのである。事実と現実を深く掘り下げてゆく先に、何が見えてくるのか?辿り着くべき先は長いが、時間の猶予はないのである。

        映画監督      稲塚秀孝

    すべてのカネミ油症被害者救済へ(53)

     ~新たな胎動を感じています~

     明日5月26日まで、約10日間、北海道苫小牧市で次回作品の編集を行っています。そして私が生まれ、育った街の”文化活動“をどのように展開するか?について、広島、京都などから集まった方々と協議してきました。

     そして今日、“新たな胎動”を感じています。 長くカネミ油症被害者に向き合っていたベテラン医師の方が、映画をご覧になって、メッセージを送ってくださったのです。

     「半世紀以前のことですから、正直言って、すっかり忘れていたことばかりでした。○○さんに連れて行ってもらって、患者さんのお宅でき取りしたことなど、思い出されます。油症の医学的なことからも遠ざかり、ビデオを見て、改めて勉強させていただきました。一人の老人病院の医者として何ができるか、全く自信はありませんが、○○さんや△△さんと共に、カネミ倉庫の前で抗議した者として、皆さんのご批判を受けたいと思います」

     声が届いたのだと思いますし、力強いメッセージと感じました。6月半ば、北九州・小倉でお目にかかりたいと思います。

         映画監督       稲塚秀孝

    すべてのカネミ油症被害者救済へ(52)

     ~被害者の仲間の絆の深さを伝えたい~

     今年3月に亡くなった岩村定子さんは、長崎県五島市奈留に生まれ、生きた75年だったのです。そして同じ奈留に生まれ、同じ時期にカネミ油を食べた仲間の皆さんの”支柱”のような存在だったと思います。

     ここまでお互い励まし合い、勇気づけてきた方々、それは「カネミ油を食べて、10年以内に生まれた子どもには、ダイオキシン類の影響が大きい」という元九州大学油症治療研究班、古江増隆班長からの言葉を一緒に聞いていたのです。岩村さんは、「母と子の絆~カネミ油症の真実」の取材で、「古江班長は後に、『僕はそんなことを言ったかな』ととぼけたと言い、その憤りを露わにしていたのです。

     母体から胎盤を通して、ダイオキシン類の”毒性物質“が移行することは、明白な事実にもかかわらず、国・厚生労働省と九州大学は認めようとしない現実がある。「長男満広(生後4か月で死亡)が“カネミ油症由来”だったことを墓前に伝えてやるのが親の務めだと思う」と何度も訴えていた岩村さんの”無念“をどう晴らしたらいいのだろうか?

     この国の”不条理“を一つでも”潰していきたい“私はただ、そう思うだけです。

                                      映画監督    稲塚秀孝

    追記)昨日(5/17)の毎日新聞記事を転載します。(許可を得ています)

    すべてのカネミ油症被害者救済(51)

     ~ここ “北九州”から始まる~

     昨晩は福岡県北九州市黒崎駅前でお話をしました。「母と子の絆~カネミ油症の真実」ダイジェスト版(35分)をご覧いただき、映画製作の経緯と「へその緒プロジェクト」の今後の展開について、50分間。地元の方々14名が参加でした。


     「カネミ油症事件」の原因企業「カネミ倉庫」があり、被害者の方々が多数住む街、北九州はある出席者の言葉によると、”魔界の街“と言われます。国内有数の”暴力団が町を支配“していますが、“もの言えば、唇寒し”どころか、身の危険を感じると言うのです。

     確かに今年1月には、この街の歴史ある映画館で二日間、2回の上映が行われましたが、実に”紆余曲折“がありました。その映画館は、古い市場街の一角にあり、大きな火事で焼失後、復活したのですが、その復活には行政を始め、さまざまな支援があったと推察に難くありません。そうした支援者(団体)の手前、「カネミ油症事件」を扱った映画上映をすんなりと受け入れることは難しかった、と言えるのです。そうした北九州だからこそ、何とか上映活動を続け、カネミ被害者救済に関心をいただく方々を糾合したいと思っています。

     来春には「幻のかくめい」の全国公開を計画しています。1960年前後、黒崎の南、中間市で起こった「サークル村」運動と閉山した大正炭鉱退職者同盟、大正行動隊の闘いを描くドキュメンタリーです。

     昨晩は直方から市民劇場や演劇活動の方も参加されていて、黒崎・中間・直方と“魔界の街”が繋がり、広がりました。私も撮影取材で過去5年間通い続けてきましたが、今しばらくお世話になろうと考えています。これからも“血をたぎらせて”北部九州に通いたいと思います。

              
                                  映画監督   稲塚秀孝

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     ~何を起こしてゆくのか~

     昨日(5月13日付)の朝日新聞「ひと」欄で、カネミ油症事件に関する内容が紹介されました。全国の知人から「読んだよ」という声が届きました。因みに朝日新聞「ひと」欄は2度目です。2007年「二重被爆」(2006年)映画上映の時以来ですから、約20年が経過しています。当然ながら、その位の間隔となるのでしょう。3度目は95歳の頃でしょうか?勿論”ジョーク”ですが。励みにします。

     さて厚生労働省の担当者に送った“再々「要請書」ですが、3週間が経過しましたが、まだ返信はありません。今週中に”回答督促メール”を送ります。”6月決戦”と名付けた、「油症対策委員会」(6月13日・九州大学油症対策委員会主宰)と「三者協議」(6月14日・厚生労働省&農林水産省、カネミ倉庫、カネミ油症被害者全国連絡会)が、一か月後に迫りました。どのような展開をするのか?訴求する”材料“を揃えて行きたいと思います。この欄で少しずつ皆さんに伝えて参ります。引き続きご支援、ご協力をお願いいたします。

                                  映画監督    稲塚秀孝

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     ~いくつかの”提案”を示唆する~

     昨年10月から映画「母と子の絆~カネミ油症の真実」上映会以降、1968年に発生した「カネミ油症事件」の”拠点“は福岡県北九州市にあると伝えてきました。カネミ油症事件の原因企業「カネミ倉庫」が今も存在する小倉。小倉駅をはさんで南に位置する「昭和館」は由緒ある映画館で、2度にわたる“火事”を乗り越え、劇場を復活させています。今年1月、2日間の上映が実現し、100名近い方々にご覧いただくことが出来ました。

     そして数駅博多寄りに位置する黒崎駅前のコムシティの会議室では、既に10回近い上映会と勉強会が行われています。5月8日、上映活動のメンバーの方と打合せを行いました。テーマは「いかにして映画を通じて、カネミ油症事件が今も続いているのかを、知ってもらう」についてでした。次回は5月14日18時から上映会を行います。今回は私も参加して、「へその緒プロジェクト」の今後の展開について話し合うため、上映は「ダイジェスト版」(35分)のみで、トークに時間を充てたいと考えています。

     地道に10名規模の上映会を続け、この秋には「母と子の絆~カネミ油症の真実」を昭和館を借り切って、上映会を開こうと考えています。1回の上映(86分)プラスの3時間を借り切って、80,000円かかりますが、ゲストトークを加えて、1,500円会費で80名~100名を集められたら、と思います。因みに昭和館の収容人数は110名です。

     カネミ油症被害者は全国に広がっていますが、やはり多いのは福岡県と長崎県です。映画上映活動は”継続“が大事ですから、”黒崎”モデルをさらに広げていけたら、と思います・

         映画監督       稲塚秀孝

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     ~「へその緒」検査の経緯探索~

     昨日5月5日「故 岩村定子さん追悼上映会」を東京・文京区民センター2A会議室で行いました。参加者は“ひとけた”でしたが、実に”濃い“参加者に恵まれました。ありがたかったです。

    1. 「岩村定子 へその緒基金」の設立を伝えました。映画「母と子の絆~カネミ油症の真実」の主要証言者だった、岩村定子さん。岩村さんへのインタビューにより、生後4か月で亡くなった(1973)長男満広さんと2人のお子さんの「へその緒」検査に繋がりました。そして、予想通りお子さん達のダイオキシン濃度が高いことが立証されたのです。岩村さんのお名前を借りて”へその緒“基金が誕生したのです。

    2. カネミ油症被害者で、長年被害者救済活動に関わった方が戻ってきました。大変心強いと感じています。私はここ数年の取材・調査ですので、これまで20年~25年間の被害者運動の現場にいらっしゃったので、早速昨日もヒント”をいただきました。2009年5月刊行の「福岡医学雑誌」で、「へその緒検査」による2つの論文が掲載されていました。
     一つは油症治療県研究班の長山淳哉さん、梶原淳睦さんらのグループで、この諭文では「カネミ油を食べて13年後に生まれたお子さんにもダイオキシン類の影響が認められる」と書かれていました。
     もう一つは、宮田秀明摂南大学教授(当時)らのグループで、宮田さんは今では「へその緒プロジェクト」のメンバー、”相棒”です。しかしながら、「へその緒」検査・研究はそこで、ストップしました。今後その“へその緒研究”の途絶について、調査研究をしようと思います。昨日お聞きした所、数十名の被害者の方々が「へその緒」を提供したのです。被害者の方々の”切なる思い“を踏みにじる国と九州大学の行状について、追及しなくてはなりません。

     次の主戦場は、国会であり、6月13日「油症対策委員会」、14日「三者協議」です。私はこれを“6月決戦”と呼ぶことにしています。その先に何が見えてくるのか?

          映画監督            稲塚秀孝

    すべてのカネミ油症被害者救済へ㊼

     ~「カネミ油症行動隊」宣言!~

     5月に入りました。4月16日に厚生労働省健康・生活衛生局総務課宛に、再々「要請書」を送り、2週間が経ちました。そして追加資料の映像を1週間前にギガ・ファイル便で送りました。私が撮影した映像の一部(ノーカット)です。ひたすら“回答”が来ることを待ちたいと思います。

     その後「カネミ油症勉強会」宛に、「へその緒プロジェクト」からの提言、を送りました。私は北海道函館取材があり、オンライン会議に参加できませんでした。そこで「みなさなの反応は・・・」と尋ねたら、全く”的外れ“な反論が届きました。そこから数回のやり取りをしたのですが、噛み合わないことが分かりました。

     私は”全方位外交“を旨としていますので、意見が異なるからと言って、批判はしますが、排除することは毛頭考えていません。そこでここはひとつ、「へその緒プロジェクト」を一つの組織体と考えて、ルール(宣言)を提示してあげようと考えました。モデルは、1960年頃に北九州中間市の大正炭鉱の闘いの中で生まれた「大正行動隊テーゼ」です。

    1. やりたいものはやる、やりたくないものはやらなくてもいい。
    2. やりたくないからと言って、やりたいものの足を引っ張らない。
    3. 相互の議論や批判は自由。
    4. やりたくないものが、やりたくなったら、加わるのは自由。

    ・・・・・・・

     私は1970年頃、大学生活の中で、このテーゼを知り、日本の各組織を再生するには”これしかない“と思いました。それから55年が経過し、大勢の方にこのテーゼを伝えてきましたが、今も実現していません。「へその緒プロジェクト」としては、「カネミ油症行動隊」宣言として表出したいと思います。

       映画監督     稲塚秀孝