
すべてのカネミ油症被害者救済へ(57)
~“心ある医師のみなさまへ”Ⅱ~
しばらく前に「全国の“心ある医師のみなさまへ”」とこのHPでメッセージを送りました。数件の問い合わせ(反応)がありました。誠にありがとうございます。
昨日「へその緒プロジェクト」の藤原さんが新潟で90代の医師と面談し、今週12日に私が北九州で80代の医師とお会いします。
今日以降、“心ある医師”のプロジェクトと命名します。今後カネミ油症被害者(1968年当時、カネミ油を食べた方)が診断を受け地域の保健所に届けるプロセスを模索いたします。「カネミ油症事件」は食中毒事件ですので、57年経過しましたが、立証するための”第一歩“と思います。
今年1月に行われた「油症対策委員会」「三者協議」以降、参議院議員会館で「母と子の絆~カネミ油症の真実」上映会後に、厚労省の担当者との面談、「要請書」のやり取りを行ってきました。そして日本有数の医師のグループに協力を求めましたが、残念ながら実りませんでした。そこでこのHP上で“心ある医師”を求めたのです。本来は6月13日、14日に福岡で開催される「油症対策委員会」「三者協議」に間に合わせようと思いましたが、いまだ“道の途上”にあります。
現在日本全国の医師数は、45万人弱(歯科医師も含む、2022年)と厚労省は発表しています。人口の3%ほどでしょうか?ぜひ医師の方々に”私たちの声“が届くように、今後も活動を続けたいと思います。
映画監督 稲塚秀孝
すべてのカネミ油症被害者救済へ(56)
~やはり、そうだったのか?!~
昨晩、カネミ油症事件を丹念に取材している新聞記者の方から連絡をいただいた。前回(55)で取り上げた、6月14日「三者協議」後の”ぶら下がり会見”に関してである。改変は、今回から国(厚生労働省・農林水産省)の”ぶら下がり“会見において、撮影・録画禁止、録音のみとなったことについて、福岡・長崎の数人の記者に、“記者クラブとして抗議、対応してもらえないか?“と伝えたのである。
そこである記者が厚労省の担当者に問い合わせたところ、2014年1月の「三者協議」後のぶら下がり会見で原澤朋史課長補佐(当時)のコメントを映画「母と子の絆~カネミ油症の真実」で使用したことについて、”無断で使用された“という見解なのだというのだ。公的な会見(ぶら下がり会見も含む)の映像素材は、使用許可がいらないのは、当然のことであるから、これは”言いがかり“なのである。
このような答えしかできない厚労省の担当者は、“報道のルール”“報道の常識”をわきまえない姿勢と言わざるを得ない。上記の内容が”事実“となら、「母と子の絆~カネミ油症の真実」製作委員会として、厚労省の担当者に対し、”厳重抗議“と”撮影・録画の禁止措置”に対し、撤回を要求しようと考えている。
映画監督 稲塚秀孝
HP投稿紹介(6/4)
●まんなかタイムス NEW!
知りたい:カネミ油症は終わっていない
汚染の事実を明らかにする「へその緒プロジェクト」

すべてのカネミ油症被害者の救済へ(55)
~見逃さないぞ!と思う~
昨日(6月2日)厚生労働省健康・生活衛生部の担当部署から、6月14日開催の「三者協議」(国=厚生労働省・農林水産省、カネミ油症被害者全国連絡会、カネミ倉庫)への報道取材(中身は別室での傍聴のみ)の申請内容が公表されました。
早速タキオンジャパンとして、申請したところですが、そこで気付いたことがありました。それは「三者協議」後の国の記者会見に関して、撮影を許可しないというのです。これまで福岡・長崎の放送局などのカメラ取材班が”ぶら下がり会見”取材をしていましたが、録音のみに限定されたのです。何と“姑息”なことなのでしょうか?
「母と子の絆~カネミ油症の真実」では、2024年1月「三者協議」後のぶら下がり会見での厚生労働省原澤課長補佐の言葉を伝えています。そして現在回答待ちの再々「要請書」では、その時の会見の映像を厚労省に送っています。「映画の内容は”情報の切り取り“とのステレオタイプの反応に対して、撮影素材の提供によって対抗したのです。ここは決して見過ごしたり、見逃したりしてはいけないと思います。メディアの方々に呼び掛け、抗議と撤回要請に動きたいと思います。
映画監督 稲塚秀孝
すべてのカネミ油症被害者救済へ(54)
~原点から見直す~
「へその緒プロジェクト」が始まったのは、昨年1月12日(福岡)なので、まもなく1年半が経過しようとしている。何が前へ進められたのか?何が”獲得”できたのか?故 岩村定子さんの3人のお子さんのへその緒検査により、ダイオキシン類がお子さんに移行している(していた)事実は明白となった。
そこで今取り組んでいるのは、大きく2点。
1.岩村満広さんのへその緒検査が2度行われ、初回は2013年九州大学油症治療研究班、古江増隆班長の頃だった。結果は、へその緒に農薬が混じっていて、“カネミ油症が原因”とは言えない、というものだった。昨年行われた島津テクノリサーチと大塚製薬チームの検査では、農薬由来と思われた数値は、40分の1になっていたのである。何故2013年にこのような結果を出したのか?原因は何か?古江班長(当時)、梶原淳睦技師(現在北九州生活科学センター)に答えてもらいたいと考えている。
2.2009年5月発行の「福岡医学雑誌」には、へその緒に関する2つの調査結果が掲載されている。九州大学油症治療研究班の長山淳哉助教授、梶原淳睦技師(先述)のグループと宮田秀明摂南大学教授(当時)のグループで、いずれもカネミ油症被害者と健常者におけるダイオキシン類について報告している。皮肉なことに、当時積極的に被害者がへその緒を提供しているため、今へその緒の提供を呼び掛けても、「あの時渡してしまった」という事になった。
重要なのは、そこから「へその緒検査・研究」が途絶したことである。以来、”15年の空白“はカネミ油症事件被害者救済に向けた「へその緒プロジェクト」にとって、大きな損失であり、そこには国(厚生労働省)と九州大学の野合による、“隠蔽”としか考えにくいのである。事実と現実を深く掘り下げてゆく先に、何が見えてくるのか?辿り着くべき先は長いが、時間の猶予はないのである。
映画監督 稲塚秀孝
すべてのカネミ油症被害者救済へ(53)
~新たな胎動を感じています~
明日5月26日まで、約10日間、北海道苫小牧市で次回作品の編集を行っています。そして私が生まれ、育った街の”文化活動“をどのように展開するか?について、広島、京都などから集まった方々と協議してきました。
そして今日、“新たな胎動”を感じています。 長くカネミ油症被害者に向き合っていたベテラン医師の方が、映画をご覧になって、メッセージを送ってくださったのです。
「半世紀以前のことですから、正直言って、すっかり忘れていたことばかりでした。○○さんに連れて行ってもらって、患者さんのお宅でき取りしたことなど、思い出されます。油症の医学的なことからも遠ざかり、ビデオを見て、改めて勉強させていただきました。一人の老人病院の医者として何ができるか、全く自信はありませんが、○○さんや△△さんと共に、カネミ倉庫の前で抗議した者として、皆さんのご批判を受けたいと思います」
声が届いたのだと思いますし、力強いメッセージと感じました。6月半ば、北九州・小倉でお目にかかりたいと思います。
映画監督 稲塚秀孝
すべてのカネミ油症被害者救済へ(52)
~被害者の仲間の絆の深さを伝えたい~
今年3月に亡くなった岩村定子さんは、長崎県五島市奈留に生まれ、生きた75年だったのです。そして同じ奈留に生まれ、同じ時期にカネミ油を食べた仲間の皆さんの”支柱”のような存在だったと思います。
ここまでお互い励まし合い、勇気づけてきた方々、それは「カネミ油を食べて、10年以内に生まれた子どもには、ダイオキシン類の影響が大きい」という元九州大学油症治療研究班、古江増隆班長からの言葉を一緒に聞いていたのです。岩村さんは、「母と子の絆~カネミ油症の真実」の取材で、「古江班長は後に、『僕はそんなことを言ったかな』ととぼけたと言い、その憤りを露わにしていたのです。
母体から胎盤を通して、ダイオキシン類の”毒性物質“が移行することは、明白な事実にもかかわらず、国・厚生労働省と九州大学は認めようとしない現実がある。「長男満広(生後4か月で死亡)が“カネミ油症由来”だったことを墓前に伝えてやるのが親の務めだと思う」と何度も訴えていた岩村さんの”無念“をどう晴らしたらいいのだろうか?
この国の”不条理“を一つでも”潰していきたい“私はただ、そう思うだけです。
映画監督 稲塚秀孝
追記)昨日(5/17)の毎日新聞記事を転載します。(許可を得ています)

すべてのカネミ油症被害者救済(51)
~ここ “北九州”から始まる~
昨晩は福岡県北九州市黒崎駅前でお話をしました。「母と子の絆~カネミ油症の真実」ダイジェスト版(35分)をご覧いただき、映画製作の経緯と「へその緒プロジェクト」の今後の展開について、50分間。地元の方々14名が参加でした。
「カネミ油症事件」の原因企業「カネミ倉庫」があり、被害者の方々が多数住む街、北九州はある出席者の言葉によると、”魔界の街“と言われます。国内有数の”暴力団が町を支配“していますが、“もの言えば、唇寒し”どころか、身の危険を感じると言うのです。
確かに今年1月には、この街の歴史ある映画館で二日間、2回の上映が行われましたが、実に”紆余曲折“がありました。その映画館は、古い市場街の一角にあり、大きな火事で焼失後、復活したのですが、その復活には行政を始め、さまざまな支援があったと推察に難くありません。そうした支援者(団体)の手前、「カネミ油症事件」を扱った映画上映をすんなりと受け入れることは難しかった、と言えるのです。そうした北九州だからこそ、何とか上映活動を続け、カネミ被害者救済に関心をいただく方々を糾合したいと思っています。
来春には「幻のかくめい」の全国公開を計画しています。1960年前後、黒崎の南、中間市で起こった「サークル村」運動と閉山した大正炭鉱退職者同盟、大正行動隊の闘いを描くドキュメンタリーです。
昨晩は直方から市民劇場や演劇活動の方も参加されていて、黒崎・中間・直方と“魔界の街”が繋がり、広がりました。私も撮影取材で過去5年間通い続けてきましたが、今しばらくお世話になろうと考えています。これからも“血をたぎらせて”北部九州に通いたいと思います。
映画監督 稲塚秀孝
すべてのカネミ油症被害者救済へ㊿
~何を起こしてゆくのか~
昨日(5月13日付)の朝日新聞「ひと」欄で、カネミ油症事件に関する内容が紹介されました。全国の知人から「読んだよ」という声が届きました。因みに朝日新聞「ひと」欄は2度目です。2007年「二重被爆」(2006年)映画上映の時以来ですから、約20年が経過しています。当然ながら、その位の間隔となるのでしょう。3度目は95歳の頃でしょうか?勿論”ジョーク”ですが。励みにします。
さて厚生労働省の担当者に送った“再々「要請書」ですが、3週間が経過しましたが、まだ返信はありません。今週中に”回答督促メール”を送ります。”6月決戦”と名付けた、「油症対策委員会」(6月13日・九州大学油症対策委員会主宰)と「三者協議」(6月14日・厚生労働省&農林水産省、カネミ倉庫、カネミ油症被害者全国連絡会)が、一か月後に迫りました。どのような展開をするのか?訴求する”材料“を揃えて行きたいと思います。この欄で少しずつ皆さんに伝えて参ります。引き続きご支援、ご協力をお願いいたします。
映画監督 稲塚秀孝