すべてのカネミ油症被害者救済へ(119)(2月1日)

~新たな”指針”を掲げて前へ~

先日”新たなヒントが・・”と書いてから、今後の活動方針を考えて
ほぼ1週間が経過しました。
本日、当プロジェクトを担う共同代表の藤原さんと打合せを行い、
ほぼこの6月までの方向性を定めることができました。

これはカネミ油症事件から57年を経て、実現できなかった「すべての
カネミ油症被害者救済への道」となるはずです。

国(厚生労働省)や九州大学油症治療研究班が”不条理”に定めた”診断基準”
を破棄するところから始まり、いまだに「カネミ油症被害者」として
認められていない人々(カネミライスオイルを食べた本人、その子ども、
孫に至る”連鎖”を断ち切る、新たな「カネミ油症被害者として登録」すると
いう発想から立ち上げようと思います。

その過程では、被害者組織、被害者支援団体の皆さんにも、協力依頼をして
行くつもりですが、これまで見聞きした状況からでは、理解し、同じ隊列で
闘うことは難しいかも知れません。
私たちの活動に残された時間には限りがあります。
「母と子の絆~カネミ油症の真実」(2024)で取材した岩村定子さんの思い、
「生後4か月で亡くなった長男がカネミ油症だった」(1973)を叶えることが
できない中、岩村さんは昨年3月にお亡くなりになってしまいました。
残念で、無念ですが、被害者の方々が高齢になってゆく中で、一つでも”成果”
に近づけたいと思います。

具体的な活動を始めるにあたり、引き続き、このHPをご覧いただいている
皆様のお力をいただければと、願っております。

カネミ油症被害者救済プロジェクト  稲塚秀孝

すべてのカネミ油症被害者救済へ(118)1月28日

~新たに、ヒントが見つかったかも・・!~

先週23日「油症委対策委員会」、24日「三者協議」の
傍聴とぶら下がり会見取材を終えてから、”もやもや”感が
ありました。その後小倉に移り、次回作「幻のかくめい」
取材に取り組みながら、なお”もやもや感”が抜けません
でした。

そして昨晩ようやく”もやもや感”の実体が分かりました。
それは、「カネミ油症被害者全国連絡会」(全国で14団体)
には、カネミ油症で被害者認定されていない方(いわゆる
未認定被害者)は含まれていない、もしくは参加できない
ということが判明したのです。
これは「カネミ油症事件取材」を始めてから、うかつでは
すまない、と恥じるべきことでした。
そもそも我がプロジェクトは、”認定・未認定”というすみ分けを
認めていない、拒否してきました。

そこで、ここからは「カネミ油症被害者」として認められて
いない被害者(支援金+健診手当=年24万円を受けられず、
医療費を免除されていない)の方々の結集を図っていきたいと
思います。
そして国や九州大学が勝手に決めた”診断基準”(血中濃度50
ピコグラムなど)とは、別に独自の判断材料を基に、国(厚生
労働省)に強く訴えてゆきたいと思います。

これはこれまでの57年に渡る「カネミ油症闘争」を一度”精算”
して、新規に立ち上げる運動になるのではないかと思います。

2月から、提案を次々として参ります。

カネミ油症被害者救済プロジェクト  稲塚秀孝

すべてのカネミ油症被害者救済へ(117)

~厚労省から”回答”届く、がまだまだ続く~

23日(金)「油症対策委員会」が福岡県博多駅にある施設内で
開催されました。その日の夜に、厚生労働省へ提出していた
7回目の「申請書」の回答が届きました。
今回も期限となる1月15日から1週間遅れで、しかもまともな
回答ではありませんでした。
今度こそはと期待していましたが、残念至極です。

①カネミ倉庫の医療費未払いに関して、被害者負担分(2~3割分)
 以外の(7~8割分)は、各自治体が負担(肩代わり)しており、
 国も一部負担していませんか?という問いに対し無答でした。
②「三者協議」欠席(2024年1月以降、4回連続)が続くカネミ倉庫
 加藤大明社長(体調不良が理由)に対し、会議への出席(オンライン
 を含む)の強い依頼と共に、会社を代表する人物の出席を求めた
 ことについても無答でした。
 カネミ油症事件の原因企業であるカネミ倉庫の実質的な代表者が
 出席していない状況は、会議の存続にかかる重大な案件と言えます。

 そのほか、「三者協議」後のぶら下がり会見における、撮影・録音
 禁止問題など、厚労省は逃げ回っているのです。

引き続き、カネミ油症被害者救済プロジェクトとして、「申請書」を
(8回目以降)送りたいと考えています。
みなさまのご支援・ご協力をお願い申し上げます。

カネミ油症被害者救済プロジェクト  稲塚秀孝

すべてのカネミ油症被害者救済へ(116)1月25日

~ささやかな”収穫” 第24回「三者協議」~

23日「油症対策員会」に続いて、昨日24日は「三者協議」が開催
されました。朝9時、福岡県合同庁舎2 の会場に到着。
9時30分冒頭撮影。
参加は国(厚生労働省・農林水産省)、カネミ倉庫(原因企業)、
カネミ油症被害者全国連絡会でした。
私達報道スタッフは、指示された通り、会場の様子を伝えるモニター
を傍聴しました。

議論の進展はありません。
12:30 終了。
廊下で待ち受け、カネミ倉庫の三浦さんにカメラを向けました。
Q[今日も加藤大明社長は欠席しましたが、体調はいかがですか?」
A「日によって、いい時もあればきつい時があります。しばらく回復まで
 に時間がかかりますね」
Q「三浦さんのことは、カネミ被害者の方々から伺っています。
  昨年11月に長崎県五島市長が、加藤社長を訪ね、未払の医療保険料に
  ついてお話したそうでしょうね」
A:「その件は私は分かりませんが、いずれ明白にせざるを得ないと思います
  けど、近いことはないと思います」

  三者協議の次回開催は、6月20日(土)の予定です。

カネミ油症被害者救済プロジェクト  稲塚秀孝

すべてのカネミ油症被害者救済へ(115)1月24日

~第29回「油症対策委員会」(福岡)に参加して~

昨日は法に基づいて年2回開かれる「油症対策委員会」(主催:九州大学
油症治療研究班)が行われました。
私は2022年頃から参加していますが、本日開催される「三者会議」と共に、
実に”特異な取材”となります。
報道関係者(新聞社、通信社、放送局など)は、各社1名のみ、会議の傍聴のみ
で撮影・録音禁止、質問などの発言禁止という、強引に”黙して語れない”状況
です。ストレスが溜まる時間となります。

そして昨日の内容は、”全く内容のない噴飯もの”でした。
2021年から開始した「カネミ油症被害者の”次世代調査”の報告」が軸になっていますが、
具体的な症状の説明はおざなりで、あえて「先天性異常は見受けられない」という
極端な指摘がありました。
また現在国(厚生労働省)が示す「診断基準」となり、”ダイオキシン類の血中濃度50
ピコグラム”へのこだわりを残しています。

カネミ倉庫製の毒の油を食した親から生まれた子や孫の重篤な症状にまともに
向き合うことはありません。
会議後の”ぶら下がり会見”には、九州大学油症治療研究班長の中原剛士さん(皮膚科教授)
が立ちました。地元新聞記者、放送局ディレクターの質問の最後に私が聞きました。
「今回(2021年から)も次世代調査の健康調査の結果報告は、従来通りでした。
今後に何を託そうとしますか?」と。
中原班長からは具体的な”構想”を聞くことはできませんでした。
国との関係において”がんじがらめ”となっている、中原班長の”苦悩の深さ”が見受けられ、
何とか”この目の前の男”を救う道はあるのだろうか?と思いました。

カネミ油症被害者救済プロジェクト   稲塚秀孝

すべてのカネミ油症被害者救済へ(114)

~厚生労働省へ、7回目の「申請書」の行方~

 1月15日期限の厚生労働省 生活・健康局食品監視安全課指導係(以下、」厚労省安全課)は、15日18時19分にメールが届き、「対応が遅れて申し訳ありません。来週中にはご返事府ができるものと思います」という内容でした。本来は1月23日から始まる「通常国会」前に受け取りたかったのですが、待ちたいと思います。そして報道の通り、高市総理の”テロ解散”により、国会審議は2月後半になりそうな気配のため、カネミ油症被害者救済プロジェクトして、国会質問の準備を粛々と進めようと考えています。近日中に届く厚労省安全課からの”回答”内容は、重要なファクターである、と認識しております。


 総選挙に向けて、「中道改革連合」(立憲民主党+公明党が中心)ができる見込みですが、過去の「カネミ油症事件」の歴史を見ると、公明党の役割特に坂口力厚労大臣の頃)は大きく、昨年1月末に「母と子の絆~カネミ油症の真実」を参議院議員会館上映会をキッカケに、立憲民主党の議員の方々との交流が始まっていることから見ると、”中道”の皆さんと引き続き「カネミ油症事件」及び「カネミ油症被害救済」への道は前へ進められるのではないか、と前向きに捉えているところです。勿論自民党、共産党などにもアプローチは続けたいと思いますし、「カネミ油症事件」は明らかに「食中毒事件」であり、ダイオキシン類による健康被害ですので、健康に生きるための、国民全体に関わる案件と理解
するが故に、党派を問わず協力と支援を得たいと考えています。

 政局は当然流動的ですが、決して原点を忘れずに、カネミ油症被害者救済に向けて活動を続けたいと、改めて心に刻みたいと思います。

                     カネミ油症被害者救済プロジェクト 代表   稲塚秀孝

すべてのカネミ油症被害者救済へ(113)

 ~”テロリスト”を倒そう~

 日本の平和、一人一人の国民の生活が脅かされているのだ、とつくづく思う。年明けから始まった”衆議院解散”の動きには、私が生まれる以前の”神国日本”の時代に戻ったような、一人の権力者の横暴が感じられるのは、私だけだろうか?
これは”テロ行為”なのだと、見まごうほどである。高市総理は、明らかに”テロリスト”と認定できるのだ。さてこの状態から、どう私たちは安心・安全を確保できるのか?取り戻せるのか?試されている”時間”に入ってゆくのだと思う。

 今日はカネミ油症事件を国会で取り上げるための準備作業を粛々と行うミーティングができた。明日15日は、厚生労働省の担当部署に提出した7回目の「申請書」の回答日である。今回は約束の日に”回答”が届くのか?楽しみである。そして、1月23日(金)は九州大学カネミ油症治療研究班が主催する「カネミ油症対策委員会」が博多駅構内で開かれ、翌24日(土)は「三者協議」が福岡県庁合同庁舎内で開かれる。カネミ倉庫加藤大明社長は現れるのか?過去4回は、体調不良を理由に欠席し続け、会議自体の意味が喪失している状態である。

 私は個人的に、前回の「油症対策委員会」後の、「カネミ油症被害者全国連絡会」の皆さんとの“懇親会”の席上で、強い腰の痛みを感じて、やむなく途中で退席してしまった。その「脊柱管狭窄症」の痛みを押えながら、リベンジのためにも参加したいと強く望んでいる。

                  カネミ油症被害者救済プロジェクト 代表   稲塚秀孝

すべてのカネミ油症被害者救済へ(112)

 ~正月明けに動くこと~

 熊本県水俣市から戻った、「カネミ油症被害者救済プロジェクト」共同代表の藤原寿和さんから連絡がありました。「水俣病事件とカネミ油症事件との連携を行おう」という確証が得られた、というのです。新春にすばらしい展開だと思います。

 正月明けにいくつかのプロジェクトの立ち上げができるかも知れません。すでにお伝えした「カネミ油症事件・五島フォーラム2026」(2026年10月10日開催予定)もその一つです。ヒントは、
①新たな”映像批評プロジェクト”(仮称)の展開です。
 私はSNS民による「オールドメディア」批判を苦々しく思っています。もちろんフランクな、自由な”批判”はOKですが、名前も名乗らない”無署名性“民を許すことができません。”名乗り出ろや!”と言いたいのです。そこで近年低調と思える”映像(テレビ・映画など)批評”の場を作りたいと思っています。近日中にプランを提示し、遅くも今年夏までに開始したいと思います。
②”1960年代プロジェクト”(仮称)の展開です。
 私は「憲法を武器として 恵庭事件知られざる50年目の真実」(2017年)を今も 東京・文京区民センターで上映中です。先日1月10日が第74回目の上映会でした。恵庭事件が起こったのは、1962年12月、札幌地裁で”被告無罪”の判決が出たのは、1967年3月でした。そして昨年秋公開の「市街戦のジャズメン 作家佐藤泰志の衝撃」の題材は、1967年10月8日羽田闘争(佐藤栄作首相 南ベトナム訪問阻止)でした。さらに現在編集中の「幻のかくめい」は、1958年発行の「サークル村」に始まり、 1961年~の「大正炭鉱闘争」(大正行動隊から大正鉱業退職者同盟)に迫る内容となります。

 私が大学に進んだのは、1969年。衝撃は1969年9月5日「全国全共闘結成集会(日比谷野外音楽堂)の現場にいたことでした。はじめて”赤軍派”が登場した瞬間でしたから。当時を生き、活動したり、ノンポリとして眺めていた皆さんに呼びかけたいと思います。

 というように、新たな展開ですが、原点の考え方は、
◆やりたいものがやる、やりたくないものはやらなくていい
◆やりたくないものは、やりたくないという理由で、やりたいものの邪魔はしない
◆やりたくないものが、やりたくなったら、仲間として迎え入れる
ということで考えています。何が、どうできるのか?自分自身でもワクワクしているところです。

                  カネミ油症被害者救済プロジェクト 代表   稲塚秀孝

すべてのカネミ油症被害者救済へ(111)

 ~五島からはじめよう ③~

 (102)に続いて、~五島からはじめよう③~をお届けいたします。

 年末から準備していた、通常国会でカネミ油症事件に関する質問について、情勢が急に変化し始めました。高市首相が、”一か八か”の解散に前のめりになってきているようです。統一教会と自民党(安部元首相)と”べったり”の癒着構造、高市氏の奈良県支部の資金問題など、一気に噴出して来ましたから、”ヤバい”状況から逃げるにも、解散という”賭け”に出るのでしょう。追い詰められていますね。ここから先は”情報戦”です。相談している国会議員も、ここは年末から地元に張り付いているようなので、議員の方々も動き出しているのでしょう。総選挙の結果次第ですが、質問などの準備を続け、3月初旬頃に焦点を合わせたいと思います。

 そして「カネミ油症事件・五島フォーラム」(仮題)を今年10月10日(土)に長崎県五島市で開催する準備を始めようと思います。シンポジウムでは、近寄りがたい印象があるので、幅広い企画を盛り込むために、フォーラムとしたいと思います。映像や音楽もいいと思います。カネミ油症事件の原因究明、医療の在り方、治療の方法、被害者との向きあい方など、医師、研究者、社会運動家、ジャーナリストなどから参加を募りたいと思います。当面毎年10月開催で、2028年(カネミ油症事件から60年)まで、行いたいと思います。
                   カネミ油症被害者救済プロジェクト  稲塚秀孝

すべてのカネミ油症被害者救済へ(110)

 ~カネミ油症と水俣病②~

 水俣病を広く国内外に伝えたのは、石牟礼道子さんが書いた「苦海浄土」(1969年・講談社刊)が大きかったのではないでしょうか。その約10年前、福岡県中間市(北九州市の南)で発行されていた「サークル村」(1960年1月号)で「水俣湾漁民のルポルタージュ~奇病」が発表されました。作者は、石牟礼道子さん、その人です。
「水俣市立病院奇病特別病棟X号室  坂上ゆき 入院時所見
 30年5月10日発病。手、口唇、口唇の痺感、言語障碍、言語は著明な断綴性蹉失性を示す。歩行障碍、狂躁状態、骨格栄養共に中等度、生来頑健にして著患を知らない。顔貌は無慾状であるが、絶えずAtheose 様、Chorea様運動を繰り返し、視野の狭容があり、正面は見えるが側方は見えない。知覚障碍として、触覚、痛覚の鈍麻がある。
 ここではすべてが揺れている。ベッドも天井も床も扉も、窓も、窓、窓の向こうの山もそれは揺れる気流だった。生まれて40年、ゆきが生命を起点にこよなくつながっていた森羅万象は、ある日から、あの昼も夜もわからない痙攣が起きてから、彼女の身体を離れ去り、それでいて切なく、小刻みに近寄ったりする。絶え間ない小刻みなふるえの中でゆきは少し笑う・・・・・・・・

 淡々と水俣病被害者の”いきざま”が描写され、そこには文学的に見事なまでに、適確な”比喩”が添えられている。そして冷徹な被害の実態が、数字と共に書き加えられているのである。

 「水俣病」にあって、「カネミ油症」にないものは何か?を考えてみると、いろいろな見地から言えるのだが、深刻な被害者を世に問うための”表現のチカラ”ではないだろうかと思う。石牟礼道子作「苦海浄土」に代表されるルポルタージュ作品、そして原一男監督らによる映画(映像)の力ではないだろうか?

 しかし今こそ、”悲観”している刻(とき)ではない。ここからいかにしてカネミ油症被害者救済への方向の中で、より深く、広く表現してゆかないといけないと感じている。「母と子の絆~カネミ油症の真実」(2024)は、そのために一里塚であり、端緒なのだと思っている。

                  カネミ油症被害者救済プロジェクト 代表   稲塚秀孝