「カネミ油症」編集通信⑱

 ~ここからが本番だ~
 日付が変わって、博多駅前のカプセルホテルに到着したのが、
午前2時過ぎ、そのまま倒れこむように眠って、起きたのが、
午前7時。途中トイレにも立たず、熟睡しました。
 さわやかな目覚めでした。
大浴場で湯船につかり、ここからギアチェンジします。
今日からは上映活動本番なのです。
 大阪の知人(元朝日放送)に連絡して、大阪での上映会の依頼、
各地の朝日放送系の放送局員、OBの紹介をお願いしました。
 今回映像素材は九州朝日放送(KBC)からお借りします。
10年前から「テレメンタリー」(テレビ朝日系の30分ドキュメンタリー枠)
のKBCの担当者の力を借りています。
 3年前からテレビ番組は作っていませんが、いざとなれば放送局に
飛び込むことは可能です。9月10日福岡試写会を前に、9月8日に
五島市奈留での上映会を依頼しました。
 8月末までに、全国の劇場15館、上映会50か所を目標に走ります。
  映画監督  稲塚秀孝

「カネミ油症」編集通信⑰

 ~遂に完成した瞬間~

 先程日付を渡ったころに、エンディングロールを入れ終えて、
完パケとなった。
 博多での編集開始が7月7日のだから、優に1カ月を越えた。実質編集日
は、18日だった。
 なかなか編集の“覚悟”がつかず、編集担当の伊野さんに心配をかけた。
明日からは、上映活動や、ポスター・チラシの製作に力を注ぎたい、
と思う。今回は疲れた。
 では引き続きよろしくお願いいたします。
   映画監督 稲塚秀孝

「カネミ油症」編集通信⑯

~「あと一息だ!」から続く日々~

 ラストスパートの2日間の初日。
昨日8月11日は、出来上がった音声ミックスを張り付けて、
映像の作業。空白の部分をワンピースずつ受けて行く。
冒頭にこの映画の“挑戦”のメッセージを置いた。

 カネミ油症事件から半世紀、56年後の映画製作の目的、使命は
何か、を問うことにした。
それは事件発生の1968年に立ち返り、当時の“空気感”を感じて
貰いたいということ。当時の感覚を呼び起こして、振り返り、
今伝えられることは何か?を必死に追い求めることではないか?と
訴えた。

 20秒のメッセージ、そして私自身が問いかけるところから始める
のである。ご覧いただく方々にどう伝わるのか?
「熱量のチカラ」を信じたい、と思います。

 さて映像はほぼ完成。今日は有り余る情報を整理するために、字幕入れ
に取り組む、熱い、暑い一日になりそうだ。
今日は8時スタートに決めた。

   映画監督  稲塚秀孝

「カネミ油症」編集通信⑮

 ~また博多へ向かう~
 8月10日(土)お盆前の三連休の初日。
新宿から新宿湘南ラインと東海道線を乗り継ぎ、名古屋から「ひかり」の
自由席に飛ぶ乗った。
 昨日はナレーション収録後に音声ミックスを行い、終了は27時。
赤坂のスタジオから調布の自宅に戻り、シャワーを浴び、資料を整え直し、
朝食と洗濯を終えて、新宿発11時の新宿湘南ライン、小田原から東海道線
と乗り継いだ。
 在来線では本日中に博多に到着しないので、新幹線も利用する。
ナレーションも音楽も入り、音響は完成。明日と明後日は、映像の完成を目指す
ことになる。
 まもなく夕方の19時。このメールを打っている左側は、瀬戸内の海に差し掛かっている。
夕陽は前方に見える。「真っ赤な太陽」である。
あと15分位だろうか?瀬戸内海に沈む夕陽を楽しみたい。
   映画監督  稲塚秀孝

「カネミ油症」編集通信⑭


 ~ようやく“白”ができた~

 7月7日から博多ATC社内で始まった「カネミ油症の真実」の
編集は、途中行ったり来たりしながら、1カ月が経過して、
今日”白”素材ができた。これから音処理(MA8月9日)、
字幕入れなどで完パケ「完全パッケージ」となる。
尺は85分31秒。当初の想定内に決まった。

 今日(8月7日)に、ナレーション原稿を書き、明日には語り手に送る。
本来は今日までに映像も完成させたかったのだが、「編集の覚悟」が定まらず、
ここまで延びてしまった。

 カネミ油症は複雑で、難しい内容だと、改めて感じた。
カネミ油症事件発生(1968年)から56年。
今ご覧いただく、意味のある作品を目指したい。

   映画監督  稲塚秀孝

カネミ油症」編集通信⑬

~悩んではいられない~
 昨日8月3日から博多にて、最終編集開始。
昨日は編集の流れを見直しながら、約50分まで繋いだ。
編集担当の”相棒“も積極的に声をかけてくれる。
 7月7日から始まった編集も、途中取材やナレーション収録で抜けつつも、
15日目を迎えた。呼吸もあってきているのを感じる。
「こうじゃないかな?」「こうだよね!」と声を掛け合うのは、杵をふるい
合いの手を掛け合いながらの“餅つき”にも似ている。
私なりに”編集の手法=流儀“もある。
 テレビ番組とドキュメンタリー映画製作で培ってきた“思い”でもある。
今回自分に課した編集テーマは、“ずっしりと重い内容を軽やかに観ていただく”
ではないだろうか?
 そこで1週間前までに並べた粗構成を、変えてみた。
カメラの前で自らの「カネミ油症体験」を語ってくれた女性たちを、次々と並べて
みることにした。母がお子さんを思う強く深い気持ち、決意、後悔、悔しさ、そして
感じる“不条理”の感覚、怒り・・ないまぜの、どこにぶつけたらいいのか、という
もどかしさを伝えられたらと思っています。
  映画監督    稲塚秀孝

「カネミ油症」編集通信⑫

~覚悟は決まった!~

 明日から博多へ向かいます。手元にある資料を読みながら、
最終編集に臨む“覚悟”を決めようと考えています。

 今日は昼に、霞が関へ出かけ、厚生労働省前で外観撮影をしました。
昼ごはん時ですから、職員の方々が表に出てきます。
勿論知人も友人もいません。
皆さん、”役に立つ仕事”をしていると考えているに違いありません。

 でも、どうでしょうか?
「母と子の絆~カネミ油症の真実」では、“応分の責任”を問うています。
56年経過して、いまだにカネミ油症被害者を救済できていないのか?
そこには大きな”闇“と”謎”があるのです。

 国=厚生労働省、原因企業のカネミ倉庫、九州大学を始めとする医師、研究者
そして有効な手を打てなかった支援者の方々、皆さんに“応分の責任がある”と
問いているのです。
しかし、まだまだこれからです。

 最後に映画をご覧になる皆さんへ。
まだまだこれからできることがあると思います。
〝勇気と力“を出してください、と。

   映画監督        稲塚秀孝

映画「母と子の絆~カネミ油症の真実」東京先行上映会案内

 映画「母と子の絆~カネミ油症の真実」、
いよいよ映画製作も大詰めとなりました。
 本年10月公開を前に、「先行上映会」を東京・大阪で開催いたします。
【東京・先行上映会】
 日時:2024年9月20日(金)14:00から上映(開場13:30)
 場所:文京区民センター3A会議室(収容:470名)
 参加費:一般1000円プラスカンパ(お願いいたします)
    学生 500円
 主催:「母と子の絆~カネミ油症の真実」製作委員会
 問合せ:タキオンジャパン稲塚(090-3433-6644)

※大阪・先行上映会は、決まり次第ご案内いたします。
 なお福岡では、試写会として開催予定です。

「カネミ油症」編集通信⑪

~さあ、これからが正念場だ!~
 7月26日に一旦粗編集(約2時間20分)の段階で帰京しました。
最終版は85分~90分の予定ですから、まだまだです。
とはいえ、仕上げの段取りを進行させなくてはいけません。

 今日は東京・赤坂のスタジオで、女優2名の方々にナレーションを
お願いしました。
13:30~16:30、ほぼ週録は完了し、先程スタジオ担当者から博多の編集担当者に
データ送りをしていただきました。

 明後日8月2日に博多へ向かい、3日から6日まで最終編集、帰京して9日に
メインの男優の方の語りを収録し、音のミックスを終えるころは、おそらく
10日朝かもしれません。

 これまで半世紀の間に数百本のテレビ番組、12本の映画製作を行ってきました。
最終のMA(マルチ・オーディオシステム)を終えるのは、いつも朝方、今の季節ですと
朝5時頃でしょうか?そして始発電車で自宅へ戻り、夕方まで「至福の眠り」に
着くのです。

 24歳の時、90分の特番の演出担当した時は、3日間眠れず、ユンケルを200円から
4000円まで、階段を上るように飲みながら、スタッフと共に作業しました。
その時は30時間以上、眠りから覚めませんでした。
さすがに70代半ばの今は無理ですね。
それはともかく、全力をここ10日間に注ぎたいと思います。

    映画監督   稲塚秀孝

「カネミ油症」編集通信⑩

 ~ターニングポイントに立つ~
 第6回「ナガサキ映画と朗読プロジェクト」が終了して、長崎から
博多に戻りました。
 昨日は最大37度。表を歩くと、すぐに汗が噴き出てくる。
何回も通った九州大学病院構内の撮影を“ゲリラ的”に行う。
この日も大勢の患者さんと付き添い者で館内はいっぱいだった。
完全予約制のため、救急車で運ばれない限り、1日の診察者数は
決まっているようだった。ちなみに「皮膚科」は76名。
九州で最も信頼されている病院の一つ、九州大学病院はまさしく
“白い巨塔”のシンボルだろうか?
 さてドキュメンタリーの編集のターニングポイントを迎えている。
言わば“覚悟”が問われている局面だ。
午後、編集で通う映像技術会社内で2時間、これまで集めた紙資料を
整理し、この映画に組み込む資料を選び出した。
 そしJR九州「鹿児島本線」を東に、折尾駅で降りるはずが一駅乗り越して
「陣の原」駅で下車。構成をご相談し、コメントをいただく原田先生に
迎えに来ていただくという“大失態”を起こしてしまった。
 まだ日の残る午後7時、余熱のような暑さのなか、打合せとインタビューを
行い、改めて心に留めたのは「ドキュメンタリーは告発である」という言葉
である。あいまいだった映画編集に向かう気持ちが定まったように思える。
これが、「母と子の絆~カネミ油症の真実」のターニングポイントだった、と
後日思いおこせる瞬間だったのかもしれない。
                映画監督   稲塚秀孝